Category Archives: ふだん着のスコットランド

ふだん着のスコットランド 5章 7

5章 スコットランド人って何だ?

それから 〜終わりに代えて〜

スコットランド議会の成立

 スコットランド議会は、「ふだん着のスコットランド」の連載を終えてから1年後、1999年に初の選挙を行った。イギリスでははじめて比例代表制をとりいれ、小選挙区制と組み合わせた選挙になった。1つの議会に2つの票を投じるなんて初めてのことで、有権者が混乱してしまうのではないかと選管は心配していたらしいが、結果的には杞憂だったようだ。

 投票結果は比例代表制だからもちろん各党の支持率をほぼ忠実に反映して、労働党が大差をつけて1位、SNPが2位、保守党が議席復活の3位、自民党が4位に順当におさまった。ただ、労働党が過半数を割ったことと4大政党以外の候補者が3人も当選したことが予想外の結果だった。小選挙区制では少数政党や無所属候補が当選することはほとんどないので、マスコミではこれを大きく取り上げた。

 しかも当選した3人のうち1人は元労働党国会議員で、左派なのでトニー・ブレアの不興を買いスコットランド議会の候補に選ばれなかったため、無所属として立候補して労働党から除名されたといういわくつきの人物。地元では人気のある人で、この選挙で最大の得票数での堂々当選となった。残りの2人も片方は労働党よりもずっと左派である社会党、もう一方がやはり労働党の右傾化に批判的な緑の党の候補者ということで、労働党は勝ったとはいえあまりうれしそうではなかった。

 労働党は結局自民党と手を結んで連立内閣を組んだ。議会は、議事堂がまだできていないので仮の議事堂で開会され、最年長ということで開会式の仮議長をつとめたSNP議員の「1707年に休会されたスコットランド議会をここに再開する」という開会の辞とともに、なかなか感動的な第1歩を進めた。

スタートは多難

 しかし感動なんてものは長くは続かないもので、いざ始まってみるとスコットランド議会は今までの国会とそれほどかわりばえもせず、規模が小さく議題がローカルなぶんだけいささかせこい印象もあり、しかもはじめての議会だからまずは議員の給料とか諸経費の扱いとか休暇とかいった生ぐさい話から始めなければならなかったこともあって、国民の評価は一気にがた落ち。イギリスでは珍しい連立政権も何かとぎくしゃくして、最初の1歩はおせじにもスムーズとはいえなかった。

 記念に建設することになった、スペイン人建築家による「ひっくり返った船の中に棺桶形の議場」という斬新?なデザインの議事堂も、やたらとお金がかかるというので反発を買っている。与野党各党にも理由はちがうが同じように批判ばかりが高まって、最初の半年くらいは良いニュースはほとんどなかった。自治というのもやってみるとけっこうむずかしいものなのだ。

 今後スコットランドはどうなっていくのだろう。自治議会の設置により、独立の望む声は今のところ小さくなっているようだ。かといって、やはり前の方がよかったのにという声も聞かない。2大政党のやり合いをベースにするイギリス議会とは運営スタイルがかなり違う、スコットランド議会の委員会中心のコンセンサス政治は、議会誕生1周年を経てようやく軌道に乗ったところだ。いろいろ不満はあってもまずはやってみようという様子見の時期なのだろう。

スコットランドは独立するか?

 スコットランドがいつか独立すると思うか?と聞かれたら、私は正直にわからないと答えるしかない。グラスゴーに行けば、たくさんのスコットランド人が今日もサッカー場でユニオンジャックを振って反カトリックの歌を歌っている。その一方で若い人の間では、戦争を経験した世代に比べると”Britain”という枠組みへのこだわりは薄く、「いいんじゃない、独立したって」という見方が強まりつつあるという統計もある。

 一方イングランドではスコットランドやウェールズで自治が始まったことへの反発から、「イングランド民族主義」と呼んでいいような感情が育ちつつあるようだ。イングランド=イギリスとのんびりかまえていられなくなったイングランドが独自のアイデンティティに目覚めるのは当然といえば当然の帰結で、これによってスコットランドがわざわざ独立するまでもなく「イギリス(Britain )」という枠組みが崩壊してしまうというシナリオもあり得る。

 スコットランドの未来の姿がどうなるのかは、イングランド人が今後どう出てくるかによるというのが実情かもしれない。イングランド人があるからこそスコットランド人があるというのが、いささか矛盾したスコットランド人の本質なのだから。(2002年加筆)

©杉本優 許可なく転載不可


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ふだん着のスコットランド 5章 6

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1998年1月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


5章 スコットランド人って何だ?

6. 自治議会と2人の女性

1979年の敗者復活戦

1997年9月の住民投票(referendum、「国民投票」と同じ単語だが、イギリス全国ではなくスコットランド住民だけが投票したので、日本では「住民投票」と報道したようだ)で、スコットランド自治議会の設立が決まった。議場の立地選択にはじまって、選挙方法、議員候補選びからイギリス議会との裁量権の切りわけまで、何もかも初めてとあって準備段階から問題が続々と出てきているが、1999年には第1回選挙が行われ、議会の活動が始まる計画だという(注:スコットランド議会の話は次項の『それから』で)。

 

「ふだん着のスコットランド」を標榜しながら住民投票だの自治議会だのと、ちっともふだんの話じゃないじゃないかと言われると困ってしまうのだが、スコットランド人にとって自治や独立の問題はごく日常的な話題だ。というのも、自治議会構想は20年も前からスコットランド政治の重要な争点だったのであり、多くの(30代後半以上の)スコットランド人にとって、1997年の住民投票はいわば「1979年の敗者復活戦」だったのである。

 

1979年も、スコットランド自治議会の是非を問う住民投票が実施された年である。そのときも結果は自治支持票数が不支持を上回ったのだが、可決条件として「全有権者の40%の支持を得ること」というきびしい但し書きがついていたため、議会設立には至らなかった。住民投票を提議した労働党政府は、この敗北の結果不信任動議にさらされ、政権から追い落とされた。そして、それに続いた総選挙で誕生したのが、自治反対勢力のリーダーであるマーガレット・サッチャーの保守党政権だった。

 

自治議会成立はサッチャーさんのおかげ

皮肉なことに、2度目の住民投票でスコットランド自治議会が圧倒的な支持を得たのは、3期続いたサッチャー政権のおかげだったと言ってよい。前述のとおりスコットランド一のきらわれ者であるサッチャーが不人気な政策を次々と打ち出しながら再選を重ねるうちに、スコットランドの世論は「イングランドのおかげであんな鬼婆首相を押しつけられる。やはり連中とたもとをわかつしかない」という方向にぐんぐん傾き、一度は衰えていた自治要求の声がふたたび高まったのだ。

 

私が留学した1988~89年は、いったん落ち込んだ独立運動がちょうど盛り返し始めた時期だった。それまで労働党は自治問題に対してあいまいな態度をとっていたが、独立派の勢いに危機感を抱き、自治支持をはっきりと表明するようになった。同じく自治を求める自由民主党とともに草の根の自治運動をも取り込んで、スコットランド憲政会議(Constitutional Convention)という超党派組織を設立、自治の方針を真剣に模索し始めたのもこの時期だ。今回住民投票にかけられた自治議会は、この会議の案をベースにしたものである。

 

住民投票キャンペーンは盛り上がらず

自治派の勝利が本当に決まったのが5月の総選挙だったことは前述した。だから、総選挙のドラマに比べると、肝心の住民投票の方はあっけないくらいだった。何しろ大方の有権者の心は5月に決まっていたのだから、あとは「まだ決めていない」層の掘り起こしと、同時に票決される課税権の問題を中心にキャンペーンを張るくらいしかできることがなかったのだ。

 

しかし投票日が9月11日と決まっても、保守党の反自治運動は一向に盛り上がらない。なにしろ活動を支える地元議員が1人もいなくなってしまったのだからしかたがない。イングランド人ばかりの内閣がキャンペーンにやって来ても、ほとんど効果はなかった。おまけに地元保守党員や支持者の中には、「比例代表制の自治議会ができればスコットランド保守党議員団を復活させることができる。そもそ自治反対を訴えたおかげで議席ゼロになったのだから、ここは方向転換した方がいいのでは」なんて考える人がけっこういたのだから、気勢が上がるはずもない。

 

賛成派の方はというと、こちらも大した宣伝戦はやらなかった。やる必要すらなかったというのが正しい。実は自治議会支持派にとって、運動成功の鍵はSNP(Scottish National Party、スコットランド民族党)にかかっていた。議席数ではふるわなかったとはいえ、得票数2位の党である。スコットランド独立を綱領とする民族党が「中途半端な自治よりは現状維持の方がまだましだ」と反対勢力についていたら、事態は変わっていたかもしれない。ふだんから人気1位の労働党との差異化をねらって反労働党の態度をとることが多い党だから、反対に回る可能性は充分にあった。

 

SNPの自治支持でマスコミ報道は賛成一色

しかし一方で、SNPは以前にも保守党と手を組んだことがあり、その結果保守党への反感が強いスコットランド有権者にそっぽを向かれた苦い経験がある。なかなか微妙な立場にあったわけだ。逡巡の結果、民族党は「自治が独立への第1歩になる」と表明して賛成派に回った。

 

キャンペーンの報道も自治支持派を大いに助けた。スコットランドのマスコミは、地元タブロイド紙である「デイリー・レコード」の購読者数がずば抜けて多く、「サン」のスコットランド版がそれに続く。

「デイリー・レコード」は昔から根強い労働党支持紙で、当然賛成キャンペーンを張った。「サン」はイングランドでは保守党寄りだが、スコットランドでは保守党系の新聞は見向きもされないので、スコットランド版「サン」はSNPを支持している。従ってこちらも賛成運動の陣営に入ってしまった。

 

投票日を「運命の日」と呼び、映画「ブレイブハート」を引き合いに出して「自由のために1票を」と呼びかけ、「有名人のだれそれも自治に賛成」と大見出しをかかげた(俳優ショーン・コネリーもその1人だった)。「自治議会に反対するのは売国奴」とでも言わんばかりの紙面キャンペーンが展開されて、あまり露骨な愛国調がかえってマイナスになるのではと賛成派政党が心配し始めたほどだった。

 

ダイアナ妃の死でキャンペーン中断

新聞の熱狂はともかくとして、政党によるキャンペーンがやっと盛り上がりそうな気配を見せた8月最後の週末、突然事態が急転した。ダイアナ元皇太子妃の悲劇的な事故死である。

元がつくとはいえ王室のメンバー、それも絶大な人気を誇ったダイアナが、カメラマンに追いかけ回されたあげく交通事故で死亡というショッキングな結末に、テレビ・ラジオはこのニュース一色に塗りかえられ、人々はたむけの花を手にエディンバラのホリルード宮殿や各地の教会にむかい、政治は完全にストップしてしまった。自治議会論争も同様で、両陣営とも葬儀の日まではキャンペーンを停止すると発表した。

 

ダイアナの葬儀は翌土曜日におこなわれた。その日には国中が店を閉め、ロンドンに駆けつけ、あるいはテレビ中継を見守った(たまたまその日に引っ越しを計画していたわが家はおかげでずいぶん不便を強いられることになったが、それはまた別の話)。

 

葬儀はさっさと済ませてくれ

死亡から葬儀まで1週間足らず、事実上の国葬にしてはずいぶん手ぎわがよくて、「ダイアナの死は王室の指示で諜報部がしくんだもの」という謀略説に油をそそぐことになったが、超特急で葬儀をすませた背景にはスコットランドのキャンペーンの問題があったらしい。

 

葬儀があまり遅くなるようだとキャンペーンを行う時間がなくなってしまう。葬儀と投票日がかち合うなんて事態はもってのほかだし、国の憲政にかかわる大事な投票なのだから、葬儀が終わってふと気がついたら投票日というのも困る。

投票日を遅らせるという選択肢もあるが、そのためには国会を開いて再決議しなければならない。しかし服喪期間に国会を開くのはかえって不謹慎だし、葬儀後では時間が足りない。

これはやはりぜひとも葬儀の方をできるだけさっさと終わらせていただかなくては……という事情があったようだ。

 

反対派の大ばくち

そういうわけで、葬儀の終わった翌日から自治キャンペーンが再開した。ダイアナの死で得をしたのは、最初から優位に立っていた自治支持派である。他方、せっかくキャンペーンが軌道に乗り、多少の効果があらわれ始めたかと思った矢先に服喪のためのキャンペーン自粛を強いられた反対派にしてみれば、イギリス統合の要であるはずの王族の都合が不利に働き、腹立たしいことこの上ない。喪が解けてみれば投票までほんの数日が残るだけ、事態は非常に危うくなっていた。ここで一発大ばくちを打たねば奇跡の逆転はまず無理だ。

 

せっぱ詰まった保守党は頭を絞ったあげく、なにを血迷ったのかとんでもない人物をキャンペーンみこしに引っ張り出した。サッチャー元首相である。

誰の発案だったのか、あるいはサッチャーさん自身が「私が出ましょう」と名乗りを上げたのか、そのあたりの事情は知る由もない。ともあれ彼女はスコットランドに乗り込み、老いたりとはいえ鉄の首相時代から少しも衰えぬ舌鋒をふるって、連合王国礼讃をぶち上げた。

 

演説壇上のサッチャーさんの姿をテレビで見たスコットランド人の胸に、80年代の悪夢がまざまざとよみがえった。イングランドといっしょに政治を続けていると、サッチャーのような人物がふたたび政権につくかもしれない。いや、年は重ねても元気旺盛な彼女が返り咲きを狙いでもしたら……。この時点でだれもが心を決めたようだ。かくてスコットランド議会の200年ぶりの復活が、圧倒的な票差により決まったのだった。

スコットランド自治のキャンペーンにいちばん大きな貢献をしたのが2人のイングランド女性だったというのも皮肉な話である。

 

大修館書店『英語教育』誌1998年1月号に「スコットランド議会と二人の女性」の題で掲載した文に一部加筆。)

©杉本優 許可なく転載不可


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ふだん着のスコットランド 5章 5

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1997年7月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


5章 スコットランド人って何だ?

5. スコットランドの総選挙

1997年はスコットランドの年

 1997年は、スコットランドがイングランドとの張り合いで力の均衡をくつがえした年だった。いっそスコットランドの年だった、といってしまってもいいかもしれない。

 イギリス全体としては、18年間続いた保守党政府が5月の総選挙で敗れ、トニー・ブレア率いる「新労働党」に道を譲ったことが政治界のトップニュースだったが、トニー・ブレアの選挙キャンペーンでの焦点のひとつがスコットランド自治だった。そのため、労働党が圧勝した結果スコットランドでは9月に住民投票が行われ、立法権・徴税権を持つ自治議会の設立が決まり、歴史の新しいページが開かれることになったのである。

イギリス政治地図

 伝統的なイギリスの政治勢力分布は大変わかりやすくて、南に行くほど保守党(Conservatives 、通称”Tories”)が強く、北に行くと労働党(Labour)が強くなる。保守党の青、労働党の赤というシンボルカラーでイギリス選挙区地図を塗ってみると、これがはっきりとわかる。ただし例外として、ウェールズでは労働党が強い。

 イギリスという国の中心がブリテン島の中央部ではなくロンドンのある南東部に位置することを考えると、中心が保守で、そこから離れるにつれて労働党が強くなると考えてもいいかもしれない。もちろん、都市部が左寄りで農村部が右寄りという万国共通の傾向も同時に存在はするのだが、この傾向の強さも南北で違ってくる。

 イギリスで「主要政党」というと、2大政党である保守党と労働党の他に、オレンジをシンボルカラーとする自由民主党(Liberal Democrats 、略して”Lib-Dems”)を含めた3党を指す。

自由民主党というと、どこかの国にも同名の党があるが、イギリスの自民党は2大政党の間に位置する中道派だ。この党は一時期、「保守党には見切りをつけたが労働党に票を投じるのは抵抗を感じる人のための党」としてかなりの支持率を獲得し、イングランドではとりわけ地方政治でしっかりした基盤を確立した。

しかし労働党最右翼を代表するトニー・ブレアが労働党首になり、ばっさばっさと旧来の政策を切り捨てた今、労働党と協調路線をとる自民党はどうも影が薄くなった観がある。

超不人気だったサッチャーさん

 さて、スコットランドに来ると政党政治の様相はちがってくる。といっても、イギリス国土の北部3分の1を占め、「中央」たる南イングランドからは最も離れたスコットランドでは、やはり労働党は圧倒的に強い。どのくらい強いかというと、世論調査では常時50%前後の支持率を確保し、改選前の保守党政権の時代でも、72ある議席中48議席を占めていた。与党だった保守党はというと、10議席だ。

しかも、マーガレット・サッチャーが保守党の鉄の女王として君臨し、イングランドで圧倒的な支持を誇っていた頃にはこの差はもっと大きくて、労働党50議席に対し、保守党はわずか7議席しか持っていなかった。

 日本では「鋼鉄の意志で政治改革を断行する理想のリーダー」と好意的に評価され、イングランドでも80年代中は絶大な人気があったサッチャー首相が、スコットランドでは一貫して不人気だったというと、意外に思うかもしれない。

「スコットランドでいちばん憎まれている女」のレッテルを進呈する者がいるかと思えば、「いや、あんな鬼婆を『女』と呼ぶのは全国の女性たちに失礼だ」と揶揄を返す者もいて、世論調査では不支持率が80~90%という前代未聞のレベルに達したほど、歴代首相の中でもかつてないきらわれ者だったのだ。

 ジョン・メージャーはサッチャーのような極端な憎まれ方こそしていなかったが、人気がないことに変わりはない。不人気の首相率いる弱小政党がスコットランド大臣を出し、スコットランド省を組織し、スコットランドの行政を掌握する。スコットランド人がこれを喜ぶはずがない。

労働党まさかの敗北でSNPが復活

 ところが頼みの綱の労働党は、必勝のはずだった1992年の総選挙でまさかの敗北を喫し、その後も保守党政権が続くことになった。いくら盲目的に労働党を支持しても、総選挙のゆくえは結局イングランド南部の住民の意向次第なのか……。そんな落胆の中で、スコットランド政治地図に地殻変動が起きた。SNPの人気復活である。

 SNPは Scottish National Partyの略称で、”Nats”と呼ばれることもある。日本語訳ではスコットランド国民党、民族党などとなるようだ。スコットランドのイングランドからの独立と、欧州連合への独立国としての参加をめざす党である。

イギリスには似たような名前の党としてBritish National Party(略称BNP)というのもあるのだが、こちらは白人優位主義、移民排斥を唱えるネオナチ政党で、SNPとはまったく関係がない。

 SNPは以前はタータントーリー(Tartan Tories )などと揶揄され、裕福な地主階級のノスタルジックな民族感情に支えられた党と見られることが多かったのだが、労働党の強い土地柄のせいか次第に左傾化を強め、今では「トニー・ブレアの日和見労働党よりもずっと社会主義的」であることを売り文句にするほどになっている。

 そんなこともあって、労働党にいくら票を投じても保守党政府が続くことにいらだちを感じる有権者が、スコットランド独立という概念に共感を持ち始めるようになり、80年代には低迷していたSNP支持が、1992年の総選挙後ぐんと伸びた。1997年の時点では20%を越える支持率を得てスコットランドの第2党の地位を確立し、3位の保守党、4位の自民党に大きく水をあけていた。

スコットランド自治問題が選挙の焦点に

 もともと労働党はスコットランド自治についてはあまりはっきりした態度を持っていなかったのだが、故ジョン・スミス前党首が熱心な自治支持者であったこと、またSNPの躍進にスコットランド人の現状への不満を読みと取って、自治支持を党方針としてかかげるようになった。

 そういうわけで、1997年の総選挙ではスコットランドの将来が重要な争点になった。経済、福祉、教育といった一般的分野では、どの党の言うこともそれほどかわり映えがしない。それだけに、政策の違いがはっきりしているスコットランド問題がクローズアップされた。

 与党保守党は現状維持の路線を打ち出し、「徴税権を持つ自治議会ができたらスコットランドだけ増税に苦しむ。企業がみんなイングランドに流出して産業が壊滅する」と訴えた。それに対し労働党は自治議会を公約(自民党も自治支持で労働党と足並みをそろえた)、SNPは「中途半端な自治にはなんの益もない。欧州連合の一員として完全独立を」と呼びかけた。1997年の総選挙はスコットランドにとって、この3つの選択肢に対する有権者の票決の機会と受け止められたのである。

私の1997年総選挙

 スコットランドにとって重要な転機となったこの総選挙は、私個人にとっても大きな意味を持っていた。というのも、これが私にとってイギリスではじめての投票の機会だったのだ。イギリスの法律では、参政権はイギリス国籍を持つ者だけの権利とされていて、永住外国人には選挙権がない。その代わり海外在住のイギリス人は、イギリス国籍を保持している限り領事館を通じて投票することができる。一方、日本の法律では海外永住の日本人には選挙権がない。

 そういうわけで、私は過去10年近くの間選挙というものにまったく関わることがなかったのだが、いろいろ思うことあって1994年にイギリス国籍に帰化した。その直後の地方選挙ではまだ選挙資格がなかったので、今回やっと参政権を行使できることになったという次第である。

 はじめての選挙ということで、政見放送もまじめにチェックし、家に配られてくる候補者パンフレットにも目をとおして研究した。模範的有権者である。日本では政治不信が強まって選挙権なんか犬も食わないという風潮になっていると聞く。イギリスでも投票率は情けないくらい低く、「どこに投票したってなにも変わらない」という声を、特に若い人たちの間でよく聞くが、選挙権のない二等市民を何年もやったあとだと、たかが1票とはいってもしみじみと重さを感じてしまうのである。

ほんとに選挙中?

 日本で選挙といえば、私の頭に思い浮かぶのはずらりと並んだ特大候補者ポスターと駅前演説、それに大音響で町を行きかう宣伝カーだが、それにくらべるとイギリスの選挙戦はなんとも静かでひかえめで、町の様子はふだんとほとんど違って見えない。

いつもはタバコやお酒の広告が貼ってあるビルボードがいつの間にか政党のスローガンに変わっているが、これにしたって選挙に限らずふだんの政党キャンペーンの時にも登場するものだから、特にああ選挙が始まったという印象はない。

 選挙戦が進行中であることを示す唯一のしるしは、街灯の柱にずらりとくくりつけてある色鮮やかな板きれだけだ。A4紙くらいの大きさで、赤をバックグラウンドに紅バラの絵と”Vote Labour” という標語が印刷されているのが労働党のもの、黄色地にバツとマルをくっつけたようなマークが描かれているのがSNPのものだ。このマークはスコットランド国花あざみの一筆がきなのだそうだ。同じものが街灯でなく家々の窓に、内側から貼ってあることもある。

 市街地では候補者の街頭挨拶なんかもやっているらしいが、昼間働いていれば見る機会もない。各党の重鎮クラスがお目見えする巡回演説会は大都市と重要選挙区に限られている。新聞を読まず、テレビもラジオも消したままにしておけば、選挙の訪れを告げるのは全戸配布の候補者パンフレットだけだ。諸党勢力が均衡してどちらに転ぶかわからないような選挙区では、活動家が戸別訪問したりするようだが、当時のわが家は労働党の再選が99%確実という安全選挙区内にあったので、うちには一度もこなかった。

マスコミは選挙一色

 その代わり、マスコミの選挙報道は相当の量になる。

いつもの夜のニュースも毎日時間を延長して各党のキャンペーンの内容を詳細に伝えた。「欧州統合」とか「教育問題」とか「法と秩序」などと日替わりテーマを決めて各党スポークスマンが討論する番組があるかと思えば、各党首が一般視聴者代表からの質問に答えるテレビ立ち会い演説会もある。新聞はとっかえひっかえ世論調査の結果を掲載し、タブロイド紙までがそれぞれ支持政党を公表して、選挙関連の特大見出しを1面、2面に並べる。

 「○田○夫、○田○夫をよろしくお願いします」をひたすら連呼する日本の選挙キャンペーンにくらべればよほど知的で正統派でいいものだと、私などは感心してテレビを観てしまうのだが、イギリス人の中には選挙報道に辟易して、旅行に出てしまう人もいるらしい。政治無関心層や、逆に支持政党がはっきり決まっている人なら、政策なんて聞くだけむだ、メージャーの声にもブレアの顔にもあきあきした、という気分になることもやはりあるのだろう。

 スコットランドのある離島は、そんな人々のために「選挙のない地区」宣言をしたくらいだ。こんな離島まではさすがに候補者も足を運ばない。テレビ、ラジオを消せばここは選挙のない世界、政治家たちのことは忘れて大自然に親しみましょう……というわけだ。

イギリスの選挙制度

 イギリスの選挙の仕組みは、ご存じのとおり小選挙区制(英語では、得票1位の候補者を当選させるという意味で “first past the post” system と呼ばれる)である。日本でも小選挙区制を導入したと聞くが、イギリスの場合は他の制度とのだき合わせではなく小選挙区1本だけであり、そのぶん各選挙区が非常に小さい。

北海道と人口が同じくらいしかないスコットランドに、72も選挙区があることを見てもそれはわかる。(イギリス全体では約660議席。スコットランドの人口はイギリス全体の約10分の1足らずなので、じつはスコットランドで投じる1票はイングランドの1票よりも重みがあるのである。これはどうやら両国が合併した際の歴史的な事情によるらしい。)

 投票日は木曜に行われるのがふつうである。日本では日曜に選挙を行うが、一応キリスト教国で日曜にはお店も閉まってしまうイギリスで、日曜に選挙をやるわけにはいかないということだろう。それでは働いている人が投票するのに困るのではないかという心配は無用。投票所は朝7時に開き、夜10時に閉まる。よほど遠くに通勤している人か、選挙があろうと1日14時間は働かなくちゃという仕事中毒でもなければ、ちゃんと通勤前か仕事帰りに投票できるのだ。

 投票所は小学校であることが多い。入り口でカードを見せてリストのチェックを受け、用紙をもらって記入ブースへ……という手順は日本と同じである。ただ、投票所入り口に各党の地区活動家らしき人たちが並んでいるのが目を引く。投票を終えた人が出てきて「あんたの党にバッチリ投票しましたからね」なんて握手していたりする。

 投票用紙には立候補者名がずらりと印刷してあるが、政党名はない。それぞれの名前の横に四角いマスがついていて、なぜか支持する候補者のマスに×を書くことになっている。×以外のものを書くと無効票になってしまうらしい。日本では○が合格で×が失格だから奇妙に思えるが、イギリスでは×は「ここだよ」とマークするための印なのである。

投票が終わると即開票速報

 夜10時に投票所が閉まると、投票箱はすぐにその選挙区の開票場へと運ばれる。そしておどろいたことに、すぐに開票作業が始まるのである。いくら小選挙区で票数が少ないといったって、投票が終わるのが夜10時なのだから、開票が始まるのは早くても10時半、田舎の広い選挙区なら運ぶ時間はもっとかかるかもしれない。

 しかも小選挙区制だと「当確」がなかなか出せない。選挙区によっては1位と2位の差が10票以下というケースさえあるのである。そんな時には2位の党は当然数え直しを要求する。2回目の集計で順位が逆転したとなれば、もう一度数え直しだ。1回の集計ですんなり確定した場合でも、当確の報が出てくるのはふつう真夜中過ぎである。

 テレビではこれを律義に速報する。イギリス地図を塗りわけたり、議席を色わけで埋めながら与野党勢力を振り子の位置で示したりとコンピューターグラフィックを駆使し、重要選挙区の開票場にはレポーターを配置して「当選の声」を次々と紹介する。キャスターもレポーターも、開票作業にいそしむ選管の皆様も、そしてそれをじっと見守る各党活動家の皆様も、深夜にご苦労なことだと同情してしまう。私の夫はこの選挙速報が大好きで、明け方までテレビにかじりついていた。

労働党圧勝でスコットランド自治へ

 開票結果はご存じのとおり労働党が419議席を獲得して空前の圧勝、トニー・ブレア政権が誕生した。

スコットランドでは保守党を除く3党が保守党を駆逐する形で議席を伸ばした。新しい議席配分は、労働党が貫禄の56、自民党はもともと保守党が強い選挙区に候補者を配置する重点戦略が功を奏して10、逆に労働党と正面からぶつかったSNPは、競り負けて次点となる選挙区が続出して6議席、保守党は閣僚クラスも含めて惨敗しゼロ議席。史上はじめてスコットランドには保守党議員が1人もいないという事態になった。

 得票率では労働党46%、SNP22%、保守党17%、自民党13%で、得票率と議席数がまったく比例していないのは小選挙区制の特徴である。皮肉なのは、比例代表制導入を党是にかかげる自民党が小選挙区制の恩恵を受け、逆に小選挙区制を強く支持する保守党が最大の被害をこうむって泣く結果になったこと。スコットランドで第1・2党の位置を占めた労働党と自民党はともにスコットランド自治議会の支持派であり、新労働党内閣は、さっそく自治の是非を問う国民投票を行うと発表した(注:この国民投票の経緯は次の項で)。

大修館書店『英語教育』誌1997年7月号に「選挙の話」の題で掲載した文に加筆。)


©杉本優 許可なく転載不可


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ふだん着のスコットランド 5章 4

5章 スコットランド人って何だ?

4. 標準スコットランド弁

ネイティヴにもわからないスコットランド弁

 スコットランド訛りが理解できる、というのが私のささやかな自慢である。といっても単に慣れているからというだけで、逆にイングランド方言やアメリカ訛りはよく分からないのだから、自慢するほどのことではないのだが、スコットランド訛りがわかる日本語通訳者は希少価値ということで、仕事には重宝する。

 英語ではなくドイツ語かと思ったとか、英語には自信があったのに一言も理解できずショックを受けたなどとよく日本人旅行者を嘆かせるスコットランド弁は、英語圏の人々にもやっぱりわかりにくいらしい。

エディンバラの麻薬中毒者たちの生活を皮肉っぽいユーモアと若々しいペースで描いた映画『トレインスポッティング (Trainspotting)』はイギリスばかりか海を越えてアメリカでも大ヒットしたが、嘘かまことかアメリカで、この映画をオスカーの「外国語映画部門」にノミネートすべきだという声が上がったそうだ。登場人物の訛りがきつくて何言っているのかさっぱりわけがわからないからだという。

 また、グラスゴーのルンペンを主人公にしたBBCの人気コメディ『ラブ・C・ネズビット (Rab C. Nesbit)』も、イングランドでは字幕入りで放映したとかしないとか。どちらも「さっぱりわからない」と言われながら人気を博しているのだから、スコットランド人にしてみればそれこそよくわからない。

「お前の訛りはスコットランド弁に非ず」

 私の夫は2回アメリカに行ったことがある。1度目は9年前、映画『クロコダイル・ダンディー』がヒットした後だったからか、アメリカ人には「おまえはオーストラリア人だろう」を連発されたそうである。スコットランド人だと言っても誰も信じてくれず、「おまえはスコットランド訛りがないじゃないか」と言い返される。スコットランドのど真ん中で生まれ育った夫はただ首を傾げるしかなかった。

 2度目の時はちょうどサッカーのワールドカップがアメリカで開催された直後のことだった。元サッカー少年の夫は、フロリダのモーテルの裏庭にボールが転がっていたのを見つけ、暇つぶしにそれを蹴って遊び始めた。しばらくすると、アメリカ人の少年がじっと自分を見つめているのに気がついた。フレンドリーが取り柄の夫は少年に声をかけ、二人は少しおしゃべりをした。すると突然少年が言ったのである。

「わかった、あなたはロシアのサッカーチームの選手でしょう!」

 当然夫は面食らって答えた。

「とんでもない。俺はスコットランド人旅行者だ。」

「いや、その訛りを聞けばすぐわかる、あなたは絶対ロシア人だ。さっきの素晴らしいフットワークはどう見たってプロサッカー選手、ワールドカップで来たんでしょう。どうかサインして下さい!」

 夫は自分がスコットランド人でロシアサッカーチームとは縁もゆかりもないことを説明し、必死で誤解を解こうとしたが、少年は「あなたのアクセントはスコットランド弁とは全然ちがう」と信じてくれない。閉口した夫は少年を追い払うため、しかたなく差し出されたノートにミハイルチェンコとかなんとか適当にサインして逃げたそうだ。

テレビ・映画のスコットランド弁

 どうやらスコットランド弁と言われてアメリカ人が思い浮かべるのは、『スター・トレック』シリーズに登場する機関士スコッティの訛りであるらしい。スコッティを演じた俳優はカナダ人だとかで、あのアクセントは本物のスコットランド弁とはまったくかけ離れた代物なのだが、本物のスコットランド人と話したことのないアメリカ人には、そんなことはわからない。


 ハリウッド映画に登場するスコットランド弁が本物と似ても似つかないというのは、昔に限った話ではない。

オーストラリア育ちのメル・ギブソンがスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを演じたり、アイルランド人のリーアム・ニーソンとアメリカ人のジェシカ・ラングをロブ・ロイ夫妻の役に割り振ったり、イングランド人のリチャード・アッテンボロを『ジュラシック・パーク』のスコットランド人学者にしてみたり、例を挙げればきりがない。

 この中では、メル・ギブソンのアクセントが意外に板についていたが、他はもう絶望的なまでに似ていなかった。ところが逆に、エディンバラ出身でいくつになってもスコットランド弁が抜けないショーン・コネリーがスコットランド人の役を得ることは、なぜか滅多にないのだ。

訛りのないスコットランド人?

 スコットランド人でも教育のある人は訛りがないという人がいるが、これは必ずしも正しくない。私の知る限りでは、スコットランド人だがスコットランド訛りがまったくなく、イングランドの英語を話す人というと、ふつう次の2つの分類のどちらかにおさまる。


  1. イングランドの学校で教育を受けた人。

    スコットランド上流階級では、子弟をイングランドの有名パブリックスクールに送るのがふつうである。

  2. 昔気質の発音訓練を受けた俳優。

    デボラ・カーがこちらの好例で、数々の映画で理想的イングランド女性を演じた彼女は、じつはスコットランド人なのである。また、あるスコットランド人ベテラン俳優は、テレビドラマでスコットランド人役を演じた時に、共演の俳優たちに「スコットランド訛りがとてもお上手ですね」と感心されたそうだ。ふだんいつも完璧なクイーンズイングリッシュで話しているため、彼がスコットランド人だと誰も気づかなかったのだ。

 もっとも、スコットランドにも全国的に有名なパブリックスクールはいくつもあり(チャールズ皇太子やトニー・ブレア首相もスコットランドの寄宿校を出ている)、スコットランド人がこちらに行った場合は、徹底的な矯正を受けないためやっぱり多少訛りが残ってしまうようだ。

また、ショーン・コネリーのように俳優学校を出たくせに訛りが抜けない人もいる。最近では俳優もイングランド式英語をたたき込まれるということはなくなったようで、人気若手俳優のユーワン・マグレガーやロバート・カーライルは、役に合わせてイングランド訛りを使うことはできるが、インタビューではいつもスコットランド訛り丸出しでしゃべっている。

スコットランド弁にもいろいろあって

 本当は、スコットランド訛りとひとからげにくくることにそもそも無理があるかもしれない。イングランドの英語にもクイーンズイングリッシュやオックスフォード英語からコックニーやリバプール訛りまで大きな幅があるように、スコットランドの方言といってもピンからキリまである。

河内弁と京都弁が同じ「関西弁」でもずいぶん違うのと似たようなもので、南西部のグラスゴー弁と北東部のアバディーン弁はアクセントも語彙もずいぶん異なる。

 またイングランド英語の場合と同じく、地域差の他に階級差というのもある。同じグラスゴーの中でも、労働者地区であるガヴァンの訛りと山の手のベアズデンの訛りははっきり違う。

冒頭に挙げた「アメリカ人やイングランド人にもさっぱりわからないスコットランド訛り」というのは労働者階級訛りや農村・漁村などの方言だが、一方で外国人の耳にはほとんどイングランド訛りと区別がつかないようなスコットランド訛りというのもある。

スコットランド弁は好感度ナンバーワン

 たとえばスコットランド出身の政治家の発音を聞いてみるといい。労働党政府の閣僚ゴードン・ブラウンやロビン・クック、保守党なら前スコットランド相のマイケル・フォーサイスや前産業相イアン・ラングなどの発音は、日本人が聞いてもたぶん気づかないだろうが、イギリス人が聞けばスコットランド人であるとすぐにわかる。しかし特に方言くさいという印象はなく、イングランド人にも評判のいいアクセントだ。

 イングランドでは一般に、中・上流の人々は労働者階級の訛り(コックニーなど)をいやしい感じがするととらえ、ぎゃくに労働者階級はオックスフォード訛りを聞くと、気どっていて虫酸が走ると感じる。しかし、教育のあるスコットランド人の訛りは、上品でありながらいや味がなく、どちらの層にも大変好感度が高いのだそうだ。

実際、テレフォン・バンキングや大企業のカスタマーサービスなどでは、コールセンターといって全国からの電話を一か所集中で受けるシステムを採用するケースが増えているが、そのコールセンターの多くがスコットランドに設置されている。その理由はやはり、スコットランド訛りは全国どこの誰が聞いても親しみがもて、信頼感がわくからだという。

BBCアナウンサーも標準スコットランド弁で

 こうした「教育あるスコットランド人訛り」は、方言単語が出てこないし、R音が巻き舌といったわかりやすい特徴もないので、日本人が聞くと訛りがあるとはほとんどわからない。しかし注意して聞くと、二重母音の単純化、つづりに忠実な発音といった、もっと微妙なスコットランド発音の特徴()が残っていて、イギリス人が聞けばすぐにわかる。

 イギリスのテレビのアナウンサーは、以前はスコットランドの地方ニュースでさえいわゆるBBCイングリッシュ(これはオックスフォード訛りとはまたちょっと違い、「まったく何の訛りもないニュートラルなイングランド英語」である)に完璧に矯正しないとダメだったが、今ではスコットランド発音を残したままのアナウンサーがイギリス全国放送でもたくさん活躍している。

ドキュメンタリーのナレーターなどもスコットランド人俳優を使うケースが意外に多い。いずれの場合も、イギリス人が聞けばスコットランド人とすぐわかる程度の訛りがあるが、なにしろ好感度が高いんだから、べつに無理して「イングランド弁」に直すことはないというわけだ。

 こうした人たちが使っているのは生(き)のままの方言ではなくて、イングランド人にも外国人にも聞きやすい「放送用アクセント」である。要するにBBCイングリッシュのスコットランド版だ。イギリス放送業界ではこれが「標準スコットランド弁( Standard Scottish)」という名前でりっぱに市民権を獲得しているのである。

スコットランド弁で何が悪い

 スコットランド訛りの再評価に伴い、アクセントだけでなく語彙から文法まで含めたスコットランド方言、ひいてはスコットランド語の再評価も進んでいる。

かつて子供たちは教室でスコットランド方言を使うと先生に叱られたものだが、今では「スコットランド方言はかつてのスコットランド語の伝統を受け継ぐもの、スコットランド語といえばバーンズの詩にも使われ世界にも誇れる文化遺産、スコットランド文化の大切な要素として未来に継承しよう」という考え方が定着し、学校のカリキュラムにも登場するようになった。


 
 そういえば、コールセンター産業の成長によってスコットランド弁の評価が急上昇したのと、スコットランド自治議会設立の要求がついに実現したのが同じ時期というのも、偶然ではないのかもしれない。スコットランド自治議会の誕生も、スコットランド弁の復権も、スコットランド人がスコットランド人であることに自信を持ち始めたという証しではないだろうか。

スコットランド議会では公用語として英語の他にスコットランド語、ゲール語を認めるべきだという議論も始まっているという。

大修館書店『英語教育』誌1997年5月号掲載の文に加筆。)


©杉本優 許可なく転載不可


筆者注:
CH音やRの巻き舌のため、よく「ドイツ語みたい」と言われるスコットランド訛りですが、聞き慣れた耳にはドイツ人の英語とはやはりずいぶん違います。本文で挙げたスコットランド訛りの特徴について少し説明しますと、



  • 二重母音の単純化

    例えばイエス・ノーのノー(no)はイングランド標準発音では「ノゥ」と「ナゥ」の中間のような音です。1つ目の母音がメインの音で、そこからなめらかに2つ目の母音に移行して終わるのが二重母音だそうで、けっこう難しいものです。ところがスコットランド人の発音だと、ほとんどカタカナ表記どおりの「ノー」に単純化されてしまいます。メール(mail)もイングランドの発音は「メィル」と「マィル」の中間のような音ですが、スコットランド訛りだとほんとに「メール」です。


  • つづりに忠実な発音

    ハーブ(herb)と郊外(suburb)の後半部はイングランドでは同じ音ですが、スコットランド人はこの2つをまったく違う音として発音します。私の住む町Stirlingは、イングランド人の発音だと英ポンドのSterlingと同じになりますが、スコットランド人はこれを聞くと「”ir”と”er”の区別もできないなんて」と馬鹿にします。つづりが違うのだから当然発音も違うのです。

    一方、”boot”と”foot”はイングランドの発音だと母音の長さが違いますが、スコットランド人は両方とも同じ長さに発音します。そこで、苦手なRとLの区別を間違えて夫に笑われた時には、「bootとfootの区別もできないくせに」とやり返すことにしています。


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ふだん着のスコットランド 5章 2


注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年2月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


5章 スコットランド人って何だ?

2. “What Are You?”

スコットランドと北アイルランド

 さて、サッカーの話をしたら触れないわけにいかないのが宗派抗争の話である。アイルランドの宗派抗争については知らない人はいないだろうが、スコットランド?とふしぎに思うだろうか。

 スコットランドと言えばまず思い浮かぶのは、神秘的なネス湖に麗しのローモンド湖、でなければ国際演劇祭で賑わうエディンバラ、ヒース咲き乱れるハイランドの山々に散らばる古城とゲール語の響き、さもなくばスコッチのグラス片手に一望する憧れのセント・アンドリューズのオールド・コース……というところだろうか。

 観光パンフレットが宣伝するこうした抒情的なイメージを、土地の人はよく「ショートブレッド缶のスコットランド」と表現する。スコットランド銘菓であるショートブレッドの詰め合わせの缶には、よくこんな感じの絵が描かれているからだ。「ブリガドゥーンのスコットランド」という表現もある。こちらはミュージカル映画に出てきた伝説の村の、花に埋まったうるわしき山河の背景セットにちなんでいる。

 ショートブレッド缶とブリガドゥーンのイメージを胸にいだいてスコットランドに来る人々には、スコットランド、特に西部スコットランドと北アイルランド抗争の心理的近さというのは、なかなかぴんとこないのではあるまいか。

北アイルランドと言えば、テロ活動こそ休止したものの、住民の敵対・不信の感情は今も健在、イギリス政治の火薬庫だ。しかし、山と湖とゴルフから目を離すと、スコットランドが北アイルランドと同じ問題を深部に抱えていることがわかってくる。

「おまえは何だ」の回答は宗教

 タイトルの”What are you?”というのは、隣人がつとめる工場で、工員の一人がその日入ったばかりの新人に開口一番たずねた質問だそうだ。一見不思議な質問だが、スコットランドの南半分、特にそのまた西半分に住んでいるスコットランド人なら、その意図は明白だ。おまえはプロテスタントか、それともカトリックか?と聞いているのである。味方か敵か、どちらの陣営に入るのかを確認するための質問だ。

 そんなに宗教的な国なのか、と思うには当たらない。隣にいる人がプロテスタントかカトリックかを気にするタイプの人間のほとんどは、洗礼式と結婚式と葬式以外、教会になど近寄りもしない。プロテスタントとカトリックの対立は、たしかに本来は信仰の問題として始まったのだが、今では教会とはかけはなれた社会現象になっている。

 教会自体はむしろこの傾向に危機感をいだき、事態の改善に取り組もうとしている。1995年のスコットランド国教会(プロテスタント)の全国大会では、スコットランド・カトリック教会の司教がゲストスピーカーとして招かれ、共に信仰を持つ者同士、手を取り合って進もうではないかと訴えて、並み居るプロテスタント牧師の喝采を受けた。

その会場の外でプロテスタントの群衆が、「国教会は我々を裏切ってカトリックと手をつなぐのか」と抗議デモを行っていたのが、なんとも印象的だった。

アイルランド移民の多いスコットランド

 問題の根は、1世紀半前に起きた社会構造の大変化に遡るようだ。当時の西部スコットランドでは重工業が日の出の勢いで発展し、労働力不足が起きていた。ところが隣のアイルランドではジャガイモの不作による大飢饉のため、人口流出が恐ろしい勢いで進んでいた。その結果、多くのアイルランド人が職を求めて西部スコットランドに移住した。今でもスコットランド西部から中央部にかけては、アイルランド姓を持つ人が非常に多い()。

 さて、アイルランド人はほとんどがカトリック教徒、ところが西部スコットランドは厳格なプロテスタント信仰の伝統がある土地柄で、低賃金を厭わない外国人労働者に職を奪われたという恨みが、もとからあったカトリック信仰への反感をふくらませる結果になったらしい。現在ではアイルランド移民の子孫はスコットランド社会にほぼ完全に融合し、名前をのぞけば身も心もスコットランド人となっているが、プロテスタントとカトリックの対立は今も根強く残っている。

オレンジ結社

 しばらく前に、私の隣人(先ほどの話をしてくれた人とは別の人)が見ず知らずの他人に殴られるという事件が起きた。近所の人は話を聞いて、グラスゴーあたりなら、酔っ払いに眼をつけられて殴られるなんて話も聞くが、まさかこの村でと耳を疑った。

よく事情を聞いてみると、彼はアマチュアフォークバンドで笛を吹いているのだが、週末の夜の練習の後、みんなで一杯飲んでからバスで戻った帰りのことだったという。一杯機嫌でバスから降りて、手にした笛をぴいひゃら吹きながら歩いていたら、近所の者らしい数人に立ち塞がられ、一発くらわされたので走って逃げたそうだ。

話を聞いた隣人の一人が、「それはきっとオレンジマンと間違われたんだよ」と言った。

 スコットランドに夏に来た人なら、オレンジ結社(Orange Order)の行進を見たことがあるかもしれない。黒いスーツと帽子にきっちりと身をかためた人達が、首にオレンジ色のたすき状の帯(sash)を掛け、オレンジ色の旗をかかげて、鼓笛隊を先頭に行進していく。オオレンジ結社はカトリック排斥主義をかかげるプロテスタント結社で、北アイルランドで生まれた団体だが、西部スコットランドでもかなり大規模な組織だ。オレンジーオーダーの会員はオレンジマンと呼ばれる。

 なぜオレンジかというと、オレンジ公と呼ばれたウィリアム3世にちなんでいるのである。ウィリアム王は「名誉革命」の際、ジェームズ2世率いるアイルランドのカトリック教徒軍をボイン川の戦いで破っており、以来カトリックに対するプロテスタント優位の象徴とされている。カトリック住民の間では、当然ながらこの行進に対する反感が強い。スコットランドでは行進というと普通はバグパイプバンドが先導するもので、鼓笛隊を使うのはオレンジオーダーの行進だけなので、隣人が吹く民謡笛を鼓笛隊のものと思い込んだカトリック教徒が、腹を立てて殴ったのだろう、ということに落ち着いた。

亀裂の深さはアイルランド並み

 宗派の壁の厚いスコットランドでも、当然ながらカトリックとプロテスタントの男女が出会って恋に落ち、結婚するということが時には起きる。これをスコットランドでは”mixed marriage”と呼ぶ。イングランドやアメリカではこの表現は黒人と白人など人種の異なる夫婦に対して使うが、宗派ちがいの結婚はスコットランドでは人種ちがいの結婚と同じくらいかそれ以上に尋常ならぬ、はっきりいえば歓迎されない結婚と見なされているのである。

 私の周囲にもいくつか例があるが、親族に白い目で見られたり、子供をどちらの宗派に育てるかで衝突したり、夫婦間では宗教の話にはできるだけ触れないという暗黙の了解があってもやはりどこかでしこりが生じて、なるほど異人種間の結婚にも劣らぬくらいの苦労があるようだ。

原因は学校とサッカー

 プロテスタントとカトリックの反目がなかなか消えていこうとしない原因は、主に二つある。

 まず教育。スコットランドの公立学校はプロテスタント系(本当は「無宗派系」というのだが、スコットランド人はみなプロテスタント系だと思っている)とカトリック系に完全分離している。St. Mary小学校とか St. Modan高校とか、聖人にちなんだ名前がついているのはみなカトリック校だ。この制度ではカトリック教徒とプロテスタント教徒は隔離された状態で育つ。友達関係はカトリックかプロテスタントのどちらかに限られるようになり、同じ地域のライバル校同士としての対抗意識が、反目感情を育てる温床になる。

 私の夫が子供のころは、よく町のグラウンドで「ペープス対ビリーズ(Pape’s & Billy’s)サッカー戦」というのをやったという。ペープというのはスコットランド方言でローマ法王のこと、ビリーは前述のオレンジ公ウィリアムの愛称。したがって、カトリック校の子はペープスチーム、プロテスタント校の子はビリーズチームに入って戦う。「プロッズ対ティムズ戦(Prods vs Tims )」と呼ぶこともある。プロッドがプロテスタント、ティムがカトリックの意味だ。

無邪気な学校対抗戦といえばそれまでだが、両者が常にライバル同士であり、チームメートにはならないという点が重要だ。

“What are you?”の代わりに「レンジャーズかセルティック」

 というのは、この意識が大人になってもそのままサッカーに受け継がれているからだ。グラスゴーには2つの大チームがあるが、レンジャーズはプロテスタント、セルティックはカトリックという線がはっきりと引かれており、まさにペープス対ビリーズそのものである。だから、前述の “What are you?”といういくらなんでも露骨すぎる質問の代わりとして、「レンジャーズとセルティック、どっちのファン?」という質問が西部スコットランドでは頻繁に聞かれる。

 スコットランドでこの2チームだけ地域を越えてやたらとファン数が多い理由は、この2チームがペープス対ビリーズの看板を公然とかかげているからだと断言していい。強いからファンが多いのではなく、ファンが多くて収入が多いから強い選手を集められるのだ。カトリック対プロテスタントの根深い反目があってこその二大チームの栄光、ということになる。

サッカー場の代理戦争

 レンジャーズとセルティックの対抗試合の様子は、よそ者の目には少々異様に映る。

まず、レンジャーズのチームカラーは青・赤・白、つまりユニオンジャックの色だ。連合王国旗とはいうものの、スコットランドではイングランドの旗と考えられている。一方のセルティックのチームカラーは緑色。チームのシンボルマークも四つ葉のクローバーで、葉の数は違うがまるでアイルランドの代表チームのようだ。選手だけでなく、サポーターもチームカラーを身に着けるから、見ているとまるでイングランド対アイルランドの試合のようだ。

 レンジャーズのファンはオレンジ結社の歌を歌って応援する。オレンジ公はイギリスの王様だがもともとはオランダ人だ。エリザベス女王もよく引き合いに出される。女王はイングランドのプロテスタント国教会の首長だが、同じプロテスタントでも長老派系で首長を持たないスコットランド国教会とは何の関係もないし、家系でいくとドイツの血が濃くてスコットランドとのつながりは限りなくゼロに近い。

セルティックのサポーターの方は、IRAの歌を歌うことが多い。これはもちろんアイルランドの組織だ。ローマ法王も登場する。しかし法王がいるのはバティカンだし、法王本人はポーランド人だ。

 愛国心が強いはずのスコットランド人が、土曜日になるとスコットランドのことなどきれいさっぱりと忘れ、サッカー場を舞台にイングランドとアイルランド(あるいはドイツ・オランダとポーランド?)の代理戦争を繰り広げているのである。

大修館書店『英語教育』誌1996年2月号掲載の文に加筆。)


©杉本優 許可なく転載不可


筆者注:
うちの姓はハンロン(Hanlon)で、日本の友人には「中国人の名前みたい」とよく言われましたが、これもアイルランド系の名前です。おそらくここもジャガイモ飢饉の時の移民組で、もともとはO’Hanlonといっていたようです。夫の母方はイングランドのプロテスタントですが、これもどんどん家系図を辿るとアイルランドにつながるらしく、もしかすると夫はスコットランドよりアイルランドの血の方が濃いかもしれません。


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ふだん着のスコットランド 5章 1


注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1995年5月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


5章 スコットランド人って何だ?

1. 国民的スポーツ

スコットランドの国技は?

国技という言葉がある。国語辞典によると、「その国の代表的な運動競技」のことであり、日本の国技は相撲とされている。

イングランドにはクリケットという、不思議な競技があって、あれが国技ということになっているらしい。

競技の概念は野球に似ていて、投手が投げた球を打手が打つというのは私にもわかるが、それ以上のルールはさっぱり理解できない。一試合に何日もかかるということ、競技場に立っている白衣にパナマ帽姿の人が審判だということ、イングランド人には大事な競技だが最近は西インド諸島やオーストラリアに押され気味であることは、テレビのスポーツニュースを見て知った。

しかし夫にどんなルールで試合が進むのか教えてくれと尋ねたら、「俺だって分からないよ、あんな退屈そうなの」との返事。イングランドでは国技かもしれないが、スコットランドでのクリケットの人気度はこんなものだ。

スコットランドの国技なるものが存在するのかどうか私は知らないが、スコットランドを代表する競技というと何だろうか。

スコットランド生まれのスポーツ

スコットランドは言うまでもなくゴルフ発祥の地として有名で、セント・アンドリューズには万国のゴルファーが巡礼に訪れる。世界中でエリートとお金持ちのゲームとされているゴルフだが、スコットランドでは公営ゴルフ場や少年ゴルフクラブなどもあり、一般庶民にも手の届く人気スポーツだ。

同じくスコットランド生まれのスポーツに、カーリングというのがある。これは冬のスポーツで、氷の上で柄のついた石を滑らせ、標的に近くに止まった方が勝ち、というゲームで、デッキブラシを持った選手達がせっせと氷を掃く様が何ともおかしな競技だが、氷が必要だという制約のためか、競技人口は多くないようだ。カーリングは要するに氷上ボウリングであり、その元祖であるボウリングの方が、人気はずっと高い。

ボウリングと言っても、日本人におなじみのレーンにボールを転がしてピンを倒すあれ(イギリスではこれをテンピン・ボウリング ten-pin bowlingと呼んで区別する)ではなく、芝生の上で競技するタイプ。日本ではローン・ボウリング等と呼ぶようだが、イギリスで単にボウリングと言うと普通はこちらを指す。ボウルズと呼ぶこともある。

カーリングの標的が固定されているのに対し、ボウリングの標的はジャックと呼ばれるボールで、自分の球をこれにぶつけて標的自体を動かすといったテクニックもあり、奥が深い。老若男女関係なく誰でも同じ土俵で競いあえるスポーツであることが人気の秘密で、スコットランドのたいていの町にはボウリング・クラブがある。人気の高さは質の高さにも反映し、去年の英連邦体育競技会でスコットランドチームはボウリングの金メダルを獲得した。

アン王女の人気の秘密

ラグビーも人気のあるスポーツだ。学校によって(特に私立男子校で)は、体育と言えば他の種目はおざなりでひたすらラグビーばかりというところもあり、そうした学校の出身者がラグビー競技人口の核となっている。それを反映してラグビーチームも、○○アカデミカルズ(Academicals)とか○○フォーマー・ピューピルズ(Former Pupils)とか、学校に由来する名のついたものが多い。

ちなみに、最近落ち目のイギリス王族だが、スコットランドではアン王女が意外な人気を保っている。いかつい顔をした離婚歴のあるおばさん王女様がなぜ特別なのかと言うと、彼女がスコットランド・ラグビー連盟の名誉会長で、スコットランドの準国歌「スコットランドの花」を観客や選手達と一緒に歌うからだ。

スコットランドは国家ではないから、公式な国歌というものも存在しない。数年前までスコットランドチームは国際試合のたびにイギリス国歌 God Save the Queenを歌わされてきた。ところがこの歌、まだ連合王国が成立する前、イングランドとスコットランドの両王国が戦争ばかりしていた頃に生まれたので、歌詞にも「スコットランドの逆賊を叩きつぶせ」という一節が出てくる。そのため観客が国歌斉唱の間抗議のブーイングを行うという事態が続き、連盟はついに反イングランド的な「スコットランドの花」を国歌として採択することにしたのである。

そんな経過を思えば当然だが、ラグビーの最大イベントは何と言ってもスコットランド対イングランド戦だ。エディンバラの国立競技場でスコットランド対イングランド戦が行われると、観客のすさまじい熱狂ぶりに威圧感を覚えるとイングランド選手が言っていた。

国技VS国民的スポーツ

国技という言葉に戻って、これをnational sportと英訳し、日本語に訳し返すと「国民的スポーツ」となる。例えば日本の国技は相撲だが、日本の国民的スポーツは、最近のJリーグブームで影が薄れたとは言っても、やはり野球だろう。夏の甲子園の期間中全国のテレビ・ラジオが高校野球中継に乗っ取られてしまうあの現象が、人気のほどを裏付けている。

スコットランドの国技が何であるかはともかく、スコットランドの国民的スポーツと言えばサッカーしかない。

例えばスコットランドの代表的タブロイド紙Sunday Mailの今週号を見てみると、13ページあるスポーツセクションのうち、11ページがサッカー、1ページが競馬、半ページがラグビー、残る半ページがボクシングに当てられている。

誰でもどこでもいつまでもサッカー

スコットランドの男の子の大半は、遊びと言えばサッカー一筋、体育種目の一番人気もサッカーで、好きなチームのユニフォームを着て町を闊歩し、将来の夢はプロのサッカー選手になること、といった調子だ。

そしてサッカーシーズンを締めくくる5月のスコティッシュ・カップ決勝戦や、スコットランドチームの国際試合が中継される日には、全国津々浦々のテレビが全てサッカー少年とビールを手にした元サッカー少年達に占領され、好きな連続ドラマを見損なった妻達の不平の声が大合唱になって鳴り響くのだ。

サッカーの国民的スポーツたる所以は、競技・観客層の厚さにある。学校でも町でも会社でもパブでも、およそ人が集まる場所には必ずアマチュアサッカーチームがある。アマチュアで才能の芽が出た者はやがてスカウトされて、プロへとはばたいていくわけだが、そんな望みはなくとも趣味としてアマチュアサッカーを続ける者は多い。自分で球を蹴るには少々足がおぼつかなくなっても、好きなチームの試合はスタジアムに出かけて、あるいはテレビ中継で観戦し、サッカーとのつき合いは消えることがない。

スコットランドのサッカーリーグは40チームで構成され、プレミア部、1部、2部、3部の計4部10チームずつに分かれている。

最高位のプレミア部は、かつての欧州の覇者グラスゴー・セルティック(Celtic)や、現在名実共にスコットランドサッカー界に君臨するグラスゴー・レンジャーズ(Rangers) など強豪が集まるだけに、観客動員数でもテレビ放映の多さでもまさにリーグの華だが、決してプレミアばかりがスコットランドサッカーでないという点が重要だ。

おらが町のチームに声援

サッカーの基本は、地元のチームを応援することにある。チーム実力の格差が激しいだけにやはり伝統ある強いチームが人気を集めがちで、グラスゴーばかりかスコットランドの子供の大部分はレンジャーズかセルティックファンだと言われているが、それでも地元チームを支持する人々はまだまだたくさんいる。

私の夫はスターリングというこじんまりとした町の郊外で生まれ育ち、物心ついた頃からお父さん、お兄さんと共にスターリング・アルビオンという地元チームを応援してきた。通称「ビーノーズ」ことスターリングは、かつて無敵だった頃のセルティックを一度破ったというわずかな過去の栄光こそあれ、現在は第2部の中ほど、はっきり言って大したチームではない。

サッカーリーグの選手は皆プロと思うのは間違いで、プレミア部や第1部はともかく、下位チームにはプロ選手で陣を固めるほどの資金がない。スターリングは「半プロ」チーム。プロ選手も数人はいるが、残りは平日には仕事を持ち、わずかな報酬で試合に出るパートタイム選手達である。当然プロに較べると、技術はともかくスタミナで劣り、試合は見るからに生彩に欠ける。サポーターの数は800~900人程度、相手チームのスタジアムでの遠征試合の応援に出かけるような熱心なファンとなるとせいぜい数百人だ。

第2部のチームの事情はどこも似たり寄ったりなので、スタジアムはいつもがらがらに空いている。サッカーシーズンは冬だから、まばらな観客席は冷雨が降り風が吹きつけ実に寒い。それでも忠実なビーノーズファン達は、手にした熱いミンス・パイとカップスープを暖房がわりに、がたがた震えながら選手達に声援を送り、あるいは怒声を張り上げ、応援歌や野次歌など歌いながら応援する。

いくらチームがこてんこてんにやられても、試合がどれほどひどくても、上の部に昇格する望みが全くなくても、決して華やかなプレミア部チームに鞍替えすることなく、おらが町のチームだからというだけでひたすら応援を続ける、その姿は感動的ですらある。こんなサポーター達の英雄的忠誠心が、スコットランドの「国民的サッカー」を支えているのである。

大修館書店『英語教育』誌1995年5月号に掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可

余談:

イングランドのFAリーグでも程度の差はあれ言えることですが、リーグの上下(というより、上と中下)の格差の広がりはスコットランドのサッカーでは大きな問題です。

レンジャーズとセルティックの2チームはスポンサー収入が潤沢で、海外の有能な選手をがんがん集めることができますが、他のチームは程度の差こそあれ資金繰りが頭痛の種。お金がないから優秀な選手が来ない。少年チームから手塩にかけて育てた若手も高給につられてよそに行ってしまう。おかげで成績ではトップ2チームと競えず、その結果資金が集まらない・・・という悪循環。数年前にはプレミア部にいたチームがあっという間に倒産の危機に直面するなんてことも珍しくありません。

なぜレンジャーズとセルティックだけが儲かるのか?という疑問の答えは、次の『”What Are You?”』に。


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ふだん着のスコットランド 4章 8

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

4章 ところ変われば・・・

クリスマスと年越し

クリスマスは正月だ

年の瀬が巡ってくると、日本の友人知人から来る手紙の終わりに「イギリスのクリスマスってどんなもの?」という質問がついてくることが多くなるので、この場を借用してこれに答えたい。
一口に言うと、イギリスのクリスマスは日本のお正月によく似ている。

例えば、日本のお正月もイギリスのクリスマスも、家族単位で祝う行事だ。
クリスマスと言うと日本では子供と若者が中心で、子供はケーキとプレゼントに喜び、若い人は恋人とロマンティックな夕べを過ごす、ということになっているらしい。それに対してイギリスのクリスマスは、ふだんはばらばらに過ごす家族がこの日ばかりは勢揃いする、という日だ。
種々の事情から家族勢揃いは無理という場合でも、「本当は家族で集まりたい」あるいは「本来なら家族と過ごすべき」という考えが当然の前提として確立しているところは同じだ。クリスマス・ディナーには親子三代の大家族が全員集合するしきたりになっている家はまだまだ多い。恋人と二人で過ごすロマンティックなクリスマスは、イギリスでは少数派だ。

そう言えば、季節の挨拶を書面で行う習慣も、お正月とクリスマスの共通点だ。年賀状は元旦以降に届き、クリスマスカードはクリスマスまでに送るという違いはあるけれど、両者はその内容も、送る相手の決め方も、ほとんど同じだ。親しい友人なら近況報告など一筆入れるが、会社関係などの義理で出すものなら印刷文ですませ、肉筆は署名だけでもかまわない。

お正月が元旦だけでなく三が日、松の内など一定の期間をさすように、クリスマスも当日だけのものではない。
クリスマス・イヴからボクシングデーまでの3日間がお祝いの中心(日本と同じく三が日だ)。それをはさんでクリスマス・デーの12日前から12日後までがクリスマスの期間とされ、この期間より前にツリーやクリスマス装飾を出したり、この時期を過ぎてもしまわなかったりするのは縁起が良くない(もっとも商店街では、クリスマス前の商戦のムードを早めに演出して客を呼び込もうというのか、11月には早々とクリスマスのイルミネーションを出すのが普通になっているが)。
子供には12月1日から24日までの「降臨節カレンダー advent calendar」というものがあって、日付のついた小窓を毎日順番に開けていくと、中に絵(とチョコレート菓子)があらわれる。もういくつ寝ると……という待ち遠しさを形にした、楽しい伝統だ。

おせち料理だってある

クリスマスには食べる御馳走の内容が決まっているというのも、お正月と似ている点だ。
イギリスの「おせち料理」のメニューは、メインディッシュが七面鳥の丸焼きで、こけもものソース(甘くて、ソースというよりはジャムのようだ)をかけて食べる。つけ合わせの内容もいつも決まっている。

食後のデザートはクリスマスプディングかクリスマスケーキ。
クリスマスケーキと言っても、クリームで覆われたスポンジケーキにサンタが立っている日本のあれとは全然違って、干しぶどうやオレンジピールが山のように入ったフルーツケーキだ。スパイスをきかせ、お酒をたっぷりと染み込ませ、仕上げに砂糖のアイシングを塗ってある。
プディングの方もクリスマスケーキと似たような材料で作るが、バターではなく牛脂(suet)を入れ、焼く代わりに茹でてあって、ねっとりとした口当たりだ。こちらはブランデー風味の甘いソースをかけて食べる。食後にはコーヒーか紅茶と一緒にミンスパイという、これも干しフルーツとスパイスを使ったお菓子が出る。
言うまでもなく、食前・食中・食後を通してお酒は飲み放題である。

テレビも毎年恒例番組

普通クリスマスディナーは昼食だ。
食事が終わり、みな満腹のあまり動けない、という状態に至る3時に、テレビで毎年恒例の女王スピーチが放映される。その後にはどのチャンネルでも連続ドラマのクリスマススペシャル編や人気映画などを目白押しに並べる。お腹はいっぱいだし、外は寒いし、どうせお店も何もかもみんな閉まっているし、第一もう日も暮れる時間だし、というわけで、クリスマスは人がテレビの前でごろごろとする日でもある。
その上これでもかと言わんばかりに、食後やおやつにはチョコレートが大量に振る舞われる。それは、クリスマスプレゼントとして知人にチョコレートの詰め合わせを贈る人がやたらと多いからだ。何しろチョコレートなら嫌いな人は少ないし、安いし、何を贈ろうかと悩む必要もない。
クリスマスが過ぎると急にダイエット食品やスリミング教室の宣伝がテレビ・雑誌にあふれるようになるのは、決して偶然ではない。

一方でクリスマスは、ストレスに悩んで医者を訪ねる主婦が急増する時期でもある。
イギリスでは親子同居が珍しく、三代が一つ屋根の下に集合することはあまり多くないので、それだけで気分的に重圧感がある。その上に大量の料理という大仕事が加わる。おせち料理とちがって七面鳥の丸焼きと付け合わせは食事の当日に料理しなくてはならないから、家族の対応とディナーの準備に追われる奥さんはてんてこ舞いだ。そこへ夫のお母さんがキッチンに首を突っ込んで「あら、七面鳥とお芋を一緒に焼いてるの、そんなことしたらお芋が焦げちゃうわよ。まあ、グレーヴィーをお湯だけで溶くなんてだめね、肉汁を入れないと風味が出ないじゃない」なーんて口を挟んだりすると、なまじ日本の同居嫁のように日頃から慣れていないものだから、一気にカーッと頭に血が上ってしまうことになるらしい。

クリスマスが正月なら、正月は?

クリスマスが日本のお正月に当たるのだとすると、イギリスではお正月をどんなふうに過ごすのか?というのも当然出てくる疑問だと思う。

イングランドのことは知らないが、スコットランドでは昔から、年越しを盛大に祝う伝統がある。
大晦日のことをスコットランド語ではホグマニー Hogmanayと呼び、以前はクリスマス以上に盛大に祝われていたらしい。イギリスのクリスマスが日本のお正月と似ているとすると、スコットランドの年越しは忘年会のノリだ。

大晦日の夜にはたいていの人が遅くまで起きて、酒など飲みながら新しい年が来るのを待つ。
真夜中の鐘が鳴って新年を告げると、それを合図に家から繰り出して近所の家の戸口を叩く。First footingと呼ばれる、真夜中の年始回りだ。最初に家を訪れた人が黒髪の男性だと縁起が良いということになっているそうだ。迎える家では訪問者に気前良く酒(こういう時はやはりスコッチがよい)をふるまう。
こうして互いの家を訪問しあい、最後には一か所にご近所一同が集まってパーティ騒ぎになる。酒を汲み交わし、みんなで歌い、踊り、夜が更けるまで陽気に騒ぐのである。酒が主役の無礼講だから、これは大人だけのお祝いだ。

このスコットランド人らしい伝統は、最近では姿を変えつつある。
地域の縁が強く、御近所がみな顔見知りというのが普通だった一昔前と違って、今では真夜中に隣家を訪ねるなどなかなかできるものではない。そこで代わりに最近では、パブやレストラン、ホテルなどでホグマニーパーティを催すところが多くなった。友人同士で連れ立ってこうしたパーティ会場に出掛けて飲み、バンドの演奏に合わせて歌ったり踊ったりするのだ。なんだか味気ないけれど、少なくとも飲んで騒いで陽気に年を越すという伝統は、今も健在と言えるだろう。

こんなわけでスコットランドの元日は、二日酔いのひどい頭痛に目を覚ましたらもう午後の2時、やっと体を引きずって起き出した時には夕日が沈みかけている、というような日だ。食べたり飲んだりすることなど考えたくもない、というわけで、元日に関する伝統は特にない。
私もスコットランドで暮らして最初のうちは、新年だけでも伝統的にと、略式おせちやお雑煮などまめにこしらえていたのだが、もう最近では悟りを開き、おせちは完全にあきらめて、飲み会前の腹ごしらえに年越しそばだけ作ることにしている。

大修館書店『英語教育』誌1995年12月号に掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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ふだん着のスコットランド 4章 7

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 

4章 ところ変われば・・・

NHS体験記

医療は公共サービス事業

イギリスの国民保健サービス制度( National Health Service、略称NHS)は、日本の国民健康保険制度と名前は似ていても内容はかなり異なる。
日本の健康保険は、まず医療が有料だという考えから出発し、国民は負担軽減のため「公営の保険」に保険料を払って加入する。
イギリスの制度では、医療は学校教育や警察・消防などと同様、公共サービス事業の一つとされる。医者や看護婦は公務員であり、サービスは税金によって大部分まかなわれていて、イギリス国民なら誰でも、そして外国人でも長期滞在者なら、無料で恩恵に預かることができる。

私事になるが、15歳の頃からずっと利き腕である右腕の痛みに悩まされてきた。中学の時医者に見せたら「何ともないよ」と言われたのだが、大学進学・就職と進むうちに痛みはだんだんひどくなり、一日中パソコンを使う仕事につくと、急に悪化した。
これではたまらないとついに医者に相談に行ったのが3年前。以来NHSにはずいぶんとお世話になり、おかげでこのサービスの仕組みも見えてきた。今回はその体験談を披露したい。

社医は診療できません

私の場合、まず駆け込んだのは会社の医務室だった。近くの町のクリニックの医者が社医を兼ねていて、定期的にやって来る。ところが私の腕を調べた社医先生の結論は、「これはきちんと診てもらった方がいいね。君の登録医の診察を受けなさい」だった。

これは、イギリスの医療制度の特徴である一般医登録制のためだ。
国民保健サービスを利用するには、まずGPと呼ばれる医者を一人選んで、その患者として登録しなくてはならない。正式名称はGeneral Practitioner、つまり一般開業医だ。開業医と言ってもNHS制度の一環として無料サービスを提供している点は変わらない。基本的には、医師は自分に登録している患者しか診療しない。社医もそれは同じで、従業員には医師の立場から一般的なアドバイスをするだけだ。何らかの診療が必要だと判断した場合には、「登録しているGPに診てもらいなさい」となる。
要するに、従業員が医院に行くための外出許可を上司からもらう時、「社医が医者に診てもらえと言ったから」と言えば仮病ではないという証明になる、という点が社医の唯一の存在理由なのだ。

何だか面倒くさい制度だと思うかもしれないが、登録制の良いところは、登録医が診療の中心点の機能を果たすことだ。病気になっても怪我をしても、まず相談する相手は自分が登録しているGPである。
一般医という名が示す通りGPは何でも屋で、痛いところが目でも手足でも胸でも、あるいはどこも痛くないが不安で眠れないとか、どうやらおめでたのようだという時でも、まずはとにかく登録医のところに駆け込む。
患者は素人判断でかかる科を選んだりする必要もなく、GPにどこがどのくらい悪いのか、どんな専門にかかる必要があるのかをつきとめてもらうだけなので、実に楽だ。私は当時登録していた医師の診察を受け、筋肉痛を鎮める飲み薬の処方箋をもらって帰った。
イギリスは完全に医薬分業になっていて、医師は直接薬を出さず処方箋を書くだけだ。これを薬局に持っていく。薬の処方は、無料運営が基本の国民保健サービス制度の中で数少ない有料サービスだ。
私はもらった薬を飲み始めたが、痛みは治まる様子もない。それでも薬がなくなるまでは飲み続けることにした。今いる家に引っ越す直前のことだ。

カルテも一緒に引越し

引っ越しのため今までの医者にかかることができなくなった場合、日本だと治療も一からやり直しになる。しかし登録医制度はこういう時に長所を発揮する。なにしろ、引っ越しをしてもカルテ (records)がちゃんと患者を追いかけてくるのだ。
患者は引っ越し先で新しい医者に登録する。その際、今までかかっていたGPの氏名と医院の住所を教える。新しい医者は今までの医者に、患者が登録を変更したことを通知し、その患者のカルテの郵送を依頼する。だから医師にとっては、新しく登録したばかりの患者でも、カルテを見ればその患者の一生涯に渡る病歴、現在進行中の治療、常備薬から前回のガン検査・予防接種日まで、全てわかるからやりやすい。患者も安心してまかせられる。
引っ越し後しばらくすると、ひどい胃痛に悩まされるようになった。さっそく登録間もないクリニックを訪ねると、医師は送られてきたカルテを見て、「強い痛み止めを飲んでいるようですね。胃を荒らしてるんでしょう。薬は効いてますか」と言う。いっこうに効いていないようだ、と答えると、「じゃあこの薬はやめて、塗り薬を使いましょう」とのこと。胃薬も処方してもらったが、胃痛は2~3日で消えた。

腕の薬の方は、なくなるまで塗り続けたけれど効果がなかった。再びクリニックに行くと、「では病院の理学診療科に紹介しましょう」と言われた。

紹介で病院へ

風邪や胃痛など単純なことならGPが薬を処方しておしまいだが、もっと専門的な検査や治療が必要な時は、GPが地域の総合病院の専門科に紹介の手紙を書く。域内の病院にはない特殊な専門科にかかる必要があるなら、隣接都市の病院に紹介されることもある。しばらくすると、患者のところへ病院の予約カードが送られてきて、専門家の治療が始まる。治療が終わったら病院からGPに報告書が届く。従ってGP保管のカルテには、GPの診療記録以外に、専門病院での治療記録まで載っているわけだ。

理学診療科(physiotherapy)というのは日本にいた時は聞いたことのなかった分野だが、イギリスでは広く利用されている。リハビリやマッサージ、超音波療法などを行う科だ。
ここで診察を受け、出てきた症名はなんと「テニスひじ」。実はテニスをやらなくてもかかるもので、同じ動きを長時間繰り返すことで筋が炎症を起こす、反復疲労障害の一種なのだそうだ()。タイピスト、コンピュータープログラマー、スーパーのレジ係などに多いという。
数か月治療に通い、痛みは多少和らいだが、病院の夏休み中治療が中断したら元に戻ってしまった。長年放置してきたせいで直りにくいのだろうとのこと。外科にかかって注射を受けた方が良いだろうと言われ、いったんGPに戻って、外科への紹介の手紙を書いてもらった。
外科の診察では、特に何も処置できず、注射も効果がないだろう、理学療法もやめた方がよいとの所見。放っておけばそのうち直るよ、という医師の言葉に腹が立ち、再びGPのところに戻った。

受けた診療に不満がある時は泣き寝入りせず、一般医を介して再診察を要求することが大切だ。GPも普通は協力してくれる。私の登録医が外科に手紙を書き、今度は違う医師の診察を受けた。
今度の先生は積極的で、まずは理学療法を再開し、その効果の程度を見極めてから治療を考えようとのこと。そこでまたまた理学診療科へ。2か月の治療後、「やはり外科治療を試してほしい」という手紙が理学診療科から外科へ届いた。
外科ではまずひじにステロイド注射を受けたが、痛みが消えたのは2週間くらいで、また元通りになってしまった。外科医は「手術をするか、放っておくかのどちらかしか選択肢はない。手術でも直るとは限らないが、どうしたいか」と聞く。放っておくよりはましだろうと、手術を受けることにした。

外来手術は紅茶つき

無料制度であるNHSの最大の問題は慢性の資金不足だ。医師も看護婦も医療機器も、いや病院自体、絶対数が少ない。したがって、診療を受けるまでの待ち時間は日本の感覚では信じられないほど長く、入院日数はやたらと短かい。私の手術は、全身麻酔をかけて行うが半日で帰宅させるという。麻酔の影響が消えるまでの24時間は、誰かに家で面倒を見てもらえるよう手配しておきなさい、という注意書きをもらった。

手術当日は朝8時に病院の「外来手術科」に出頭。受付を済ませると準備室へ。これは入院患者用個室の小型版という感じで、キャスター付きベッドの他、ハンガーとテレビがある。ここで使い捨ての手術衣に着替え、ベッドに寝てテレビを眺めていると、看護婦さんが準備状況のチェックに来た。次に、執刀医から手術の説明を受けた後、可動ベッドごと麻酔室へ運ばれた。
手術が終わり、麻酔から覚めたのは約2時間後。先程の準備室に戻されると看護婦さんがポット入りの紅茶とトーストを持ってきた。食事が終わったら、準備室は午後の手術の患者用に空けなくてはならないので、看護婦さんに着替えを手伝ってもらい、回復室へ移動。ここには朝の手術を受けた患者が他にも集まってくる。
一人一人看護婦さんに呼ばれ、術後の処置について詳しい説明を受けた。こちらとしては、麻酔でまだ頭がぼうっとしているし、腕は痛いし、迎えが来るのを待ってそっちに説明してくれればいいのにと思うのだが、自分のことは自分で責任を持たねばならないらしい。薬と絆創膏と予約カードの入った袋を渡され、あとは迎えを待つばかり。夫の到着と共に、1時に病院を出た。

手術から2か月半たった今は、腕のリハビリ(このためにまた理学診療科に戻った)も終了し、傷口もすっかり目立たなくなった。腕も快調で、手術の甲斐があったと胸をなで下ろしている()。

大修館書店『英語教育』誌1996年1月号に掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可

筆者注:

反復疲労障害(RSI)について、くわしく説明したページの立ち上げを企画中。もう少しお待ちを。

後日談:

手術後約3ヶ月の間、まったく腕に痛みがない状態を満喫。高校以来でしょうか。が、その後がいけなかった。本当なら仕事に復帰した時に仕事環境を改善して再発を防ぐべきだったのですが、そんなこととは知らずに会社に戻った私は、1ヶ月でたまった仕事の山と奮闘。さらにその頃からやたらと仕事量が増え始めたこともあって、しばらくすると痛みが徐々に戻ってきました。
それから6年経った今は、右腕は手術の前と同じか、むしろ悪いくらい。おまけに右手をかばって左手を使いすぎたせいか、左腕も同じ症状が出て、日常生活にも不自由が出ているというなかなか情けない状態です。皆さんも、RSIにはくれぐれもご注意を!


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ふだん着のスコットランド 4章 6

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

4章 ところ変われば・・・

会社員という職業

OccupationはTranslator、職業は会社員

アンケートやら申込書、登録用紙に履歴書だと、個人情報を書かねばならない機会は多い。そしてそこには氏名・住所・電話番号・生年月日などと並んで、職業を書く欄があることが多い。
それが日本のアンケートなら私は職業欄に「会社員」と記入し、イギリスのアンケートなら”Occupation”の欄に”Translator”と書く。

日本でも”Translator”、つまり翻訳家が職業じゃないの、翻訳の仕事して翻訳書も出てるんでしょと言われればまあその通りだが、日本で翻訳家というと作家と同様「自由業」という語感がある。私の場合、本の翻訳は余暇を使った趣味兼副業であって、本業は企業の専属雇われ翻訳者。日本式分類ならやっぱり「翻訳家」ではなく「会社員」になるだろうと思う。さて、私の夫の場合は職業欄には”Machine operator”と書く()。これは工場の生産ラインで電子部品を製造する仕事なのだが、日本式なら彼の職業も「会社員」ということになる。
「会社員」を英語でいうと何になるのだろうかと考えてみた。

会社員=Salary man?

日本人に聞けばすぐ出てくる回答は「サラリーマン」だろう。会社からサラリーをもらっているのが会社員、すっきりしている。
しかしあいにく、サラリーマンというのはご存じの通り和製英語である。手元の英和辞典には「”a salary man”は間違いで “a salariedman”が正しい」と書いてあるが、実際には “salaried man” というのも聞いたことのない表現だ。”Salaried staff” ならもう少し英語らしい表現になるが、もっと普通に使われるのは “salaried position (post)” という言い方だろう。

“Salaried” という言葉は、1つの会社の中で職種を2種類に分ける時の、分類の一方である。”Salaried position”の場合、給与(salary)は年俸として規定され、それを12等分した金額が毎月支払われる。給与は就労時間とは関係ないので、病欠しても給料が減らない代わりに、残業しても残業手当ては出ない。

もう片方の分類(特に名前はないようだ。強いて言えば”non-salaried position”だろうか)の場合、給与は “wage” という時給単位になっている。支払いは毎週あり、複数時間分のまとめ払いなので “wages” となる。病欠すれば、休んだ時間だけ給料が削られる。製造業ならいわゆるホワイトカラーが通常前者に属し、ブルーカラーが後者に属する。サービス業なら、店長やマネージャーなど幹部格は前者で店員や窓口係など接客をする人は後者、というのが一般的だ。

会社員=Business man?

私がまだ日本にいた頃(ということはずいぶん昔だが)、「24時間戦えますか」という某栄養ドリンクのCMが流行した。バックに流れた「ビジネスマンの歌」というのがうけて、バリバリと仕事をこなす有能な会社員をサラリーマンではなくビジネスマンと呼ぶという風習が生まれた。これが今も続いているのか私には分からないが、ビジネスマンというのも「会社員」の英訳としては不適当である。

“Business man/woman” という表現自体は何の問題もない立派な英語だ。しかし、ここで言うビジネスとは「事業」とか「経営」という意味であって、”business man”とは日本で言う「実業家」とか「経営者」のことになる。
経営の規模や事業内容は問わないから、マイクロソフトのプレジデントだろうと寅さん映画のタコ社長だろうと”business man”であることに違いはないし、駅前の酒屋さんだって人を雇い商店経営に携わっているという点では立派な”business man”の端くれだ。しかし会社に雇われているだけの会社員では、どんなにかっこいい国際派企業に勤めていようが何時間働こうが、決して”business man”と呼ばれることはない。

Employed=会社員?

今度は逆に、英語表現の中から「会社員」に当たりそうなものはないか探してみよう。手掛かりとして、職業欄が記入式でなく選択肢になっている場合を考える。この中に「会社員」と対応しそうなものはあるだろうか。 分類が大雑把な場合、職業の選択肢は次のようになっていることが多い。

□ Employed(被雇用者)
□ Self-employed (自営業・自由業)
□ Unemployed(失業者)
□ Student (学生)
□ OAP (Old-age pentionerの略、老齢年金受給者)
□ Housewife (主婦)

“Employed”は full timeとpart time に分かれていることもある。もっと詳しい分類になっている場合、 “Employed” の部分がもっと細かく分かれている。例えばこんな感じだ。

□ Labour (unskilled)(非熟練労働者)
□ Labour (skilled)(熟練労働者)
□ Retail (店員)
□ Clarical(事務)
□ Professional(専門職)
□ Managerial(管理職)

“Professional”や”Managerial”については、さらに細かく”Junior”と”Senior”に分かれているときもある。ちなみにこの分類でいくと、”Translator” は”Professional”あるいは”Junior Professional”の範疇に入る。”Machine operator” は厳密には”Labour (semi-skilled)”だが、この選択肢がない場合は”Labour (unskilled)”を選ぶ。

“Employed”が会社員でない時

こうしてみると、イギリスの”employed”、特に”full-time employed”という分類は、日本の「会社員」に対応する幅の広さを持っているようだ。
ただ問題は、”employed” では逆に幅が広すぎるという点である。早い話が、給料をもらっているなら誰でも “employed” になってしまう。

ところが世間には、例えば公務員や教員や病院勤務医師など、「会社員」ではないが「被雇用者」である場合というのがたくさんある。イギリスの分類では、かなり細かく選択肢が分かれている場合でも、これらが登場することはない。
教員や医師なら”Professional”という分類に入るし、公務員なら仕事の種類によって”Clarical”だったり”Professional”だったり、昇進を遂げれば”Managerial”になったりする。民間企業に雇われる会社員も、官庁や役所に雇われる公務員も、学校に雇われる教員も、病院に雇われる医師も、誰かに雇われているという点では同じ「被雇用者」であって、雇い主の素性には誰も頓着しないのだ。

どうやら日本では「誰から給料をもらっているか」という縦割りの分類にうるさく、イギリスでは「職業階層のどの高さにいるか」という横割りの分類にこだわるというパターンがあるようだ。これはたぶん、雇用形態の違いの反映なのだろう。イギリスでは「職」とは個人の持つ技能のことであり、就職とはこれを雇い主に売り込むことだ。一方終身雇用制と社内異動制を土台にする日本では、何の仕事をしているのかよりも誰が雇い主かが重要で、会社員なのか公務員なのか、さらにはどの会社かという点を問題にする。

会社員=Company man?

そう言えば、一見「会社員」という言葉の直訳のような英語がもう1つあった。”Company man”だ。
会社に忠実で仕事に勤勉な模範社員のことをいう。
“Company man”はよその会社の求人広告など一切無視し、我が社の繁栄のため邁進する。そしてその功を認められて社内で昇進を遂げることを最大の望みとするのである。はっきり言って、イギリスのような社会では珍しい存在だ。いやみ、悪口として使われることも多い。

“Company man”と「会社員」とは、字面は似ていても意味は全然違うようだ。
だが考えてみると、日本の「会社員」という表現の中には、「私、人様に宣伝するような特別な才能なんぞ持ってませんが、真面目に毎日会社に行って地道に働いてるんです」という、いかにも”company man”、つまり「会社人間」的な自己主張が暗にこめられているような気もする。
それならば、日本でも転職が増え終身雇用制が崩れ始めているというから、典型的”Company man”の型にはまるのを拒む人が増えていくにつれ、やがて日本人が職業欄に「会社員」と書かなくなる日が来るのだろうか。

大修館書店『英語教育』誌1997年10月号に掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可

筆者注:

うちの夫は今では輸入販売のビジネスを個人起業したので、”Machine operator”ではなく、”Self-employed”です。ビル・ゲイツとは桁が違いますが、一応”business man”ということになりますな。ちなみにうちの夫は実にいろいろな職についたことがあります。子供の時の夢ナンバー1はもちろんプロのサッカー選手になることでしたが、これは果たせず夢の職業ナンバー2だったバスの車掌になったのが22歳の時。ところがバスのワンマン化で車掌がみなリストラされ、夢のお仕事は早々と終わってしまったのでした。あまり早く夢がかないすぎるのもよくないみたいです。


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ふだん着のスコットランド 4章 5

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

4章 ところ変われば・・・

スポンサー募集中

テレビCMとスポンサー

スポンサーという言葉から日本人が連想するのは、やっぱりテレビだろう。
久々に日本に帰ると、日本の民放ってこんなにコマーシャルが多かったんだなと思い出す。イギリスにも民放はあり、コマーシャル(advertisements、または略してadverts と呼ぶことが多い)も流れるが、それを見ていて量の多さにいらいらした覚えはない。2時間ドラマや映画では、話の流れを損なわないようCMタイムの回数を少なめに抑えているらしく、トイレを我慢している時など、まだかと焦れるほど間があく。

日本の民放テレビでいらいらするのは、番組の前後に入る「この番組は○○の提供でお送りします/しました」というナレーションだ。特に、長時間ドラマや映画劇場などの場合は途中でスポンサーが交替することがあり、そこでまた「これまでの放送は○○の提供でお送りしました。ここからの放送は××の提供でお送りします」と入る。あれが特に悪い。○○、××の部分に並ぶスポンサーの数がやたらと多いので、よけいにいらいらする。それから、列挙された夥しい数のスポンサーがみなCMを入れる。その量と回数の多さにまたいらいらする。

ここで「広告提供者」と「スポンサー」という2つの言葉を使った。日本では同じものとして扱われているようだ。
手持ちの国語辞典にはスポンサーの語義として、「ラジオ・テレビの商業放送番組の提供者。広告主。転じて、資金を出してくれる人」と説明されている。

ところがイギリスのテレビでは「広告主」と「スポンサー」は性格がちょっと違う。
コマーシャルを出している各社は、イギリスでは広告主(advertisers)である。広告主は放送会社に対して広告料を払い、広告枠をもらう。どの時間帯に広告するかは選べるようだが、別に特定の番組を提供しているわけではない。だから番組提供者として紹介されることもない。
一方番組スポンサー制度はイギリステレビ界では比較的最近、6~7年前くらいから見るようになった。実際にはそれ以前から登場していたのかもしれないが、私の記憶にはない。

スポンサーはCMを流さない

イギリスでは1つのテレビ番組につくスポンサーは1社だけ、2社の共同スポンサーという例も一度だけ見たことがあるが、ごく例外的である。そして、スポンサーはコマーシャルを流さない。その代わりに、番組の前後および中途CM帯の前後に数秒、スポンサーの名前が出る。CMよりもずっと短いが、回数が多いのと単独で登場するため印象が強い。
最近はスポンサー付き番組がずいぶん増えてきたが、それでも視聴率の高い人気番組だけに限られている。ドラマシリーズでは、新番組として初登場する時にはスポンサーなしで、そのシリーズがヒットすると続編からスポンサーが付く。

スポンサーになる企業は、番組のイメージと関連が強いのが普通だ。例えば、スポンサー付き番組の先駆け「モース警部」シリーズでは、主人公のモース警部がビールの味にうるさいという設定になっているので、ビール会社がスポンサーについた。スコットランドを舞台にした連続ドラマ「ハイ・ロード」を「スコティッシュ・ブレンド」という紅茶がスポンサーし、ヒット商品になったという話は以前書いた。

番組の名前を出せば反射的にスポンサーが思い出せるくらい、両者の関連は強い。その代わり、番組の途中や前後のCM帯は、番組のスポンサーとは全く関係がない。シャンプーメーカーがスポンサーするアメリカのコメディドラマ「フレンズ」の中途に、ライバルブランドのシャンプーのCMが流れるなんてことも起きるようだ。

スポンサーといえばサッカー

前述の通り、イギリスのテレビ界にスポンサー制度が入り込んできたのは最近のことである。だから、イギリス人がスポンサーという言葉を聞いた時に連想するのはCMではなく、むしろサッカーではないかと思う。

サッカーのユニフォームを見ると、チーム名はシャツの胸に小さなワッペンがあるだけで、中央にでかでかと企業名が入っているが、この企業はチームのオーナーではなくメインスポンサーである。試合がテレビ放映されるような有名チームなら、スタジアムに出す看板の広告効果も高いので、他にもスポンサーがわんさかいることが多い。

しかし弱小チームではなかなかスポンサーがつかず、どこも経営は火の車だ。夫のサポートするスターリング・アルビオンの場合、数年前にメインスポンサーが降りてしまい、現在はクラブ会長の経営する貸トレーラー業者の名前がシャツに入っているという、様にならない状況である。

試合プログラムを見ると中にスポンサー紹介のページがあり、「ボールのスポンサー(1試合£150、ランチ付きチケット2人分進呈)」とか「個人選手のスポンサー(年額£100、指名選手のサイン入りユニフォーム付き)」とかいった細かいスポンサー制度があることが分かる。ここに並んでいる名前は個人名が多く、数人のグループや地元の零細会社の名も見える。スポンサーとしてお金を出してもほとんど見返りはないが、要するにちょっとお金に余裕があり、かつチームをこよなく愛する熱心なサポーターが、小口スポンサー制度を通じてチームに貢献しているのである。

誰でもみんなスポンサー

イギリスにはもう一つ、テレビ番組のスポンサーよりもサッカーのスポンサーよりも古く、かつ身近なスポンサー制度がある。私の夫は小学生の時にスポンサー集めをよくやったというし、かくいう私も最近勤め先のマネージャーのスポンサーになったことがある。チャリティ募金のスポンサー制度だ。

ロンドンマラソンの中継を見たことがあるだろうか。世界のトップ選手が走るのはもちろんだが、ロンドンマラソンは一般参加のランナーがやたらと多いので知られている。イギリス人はそんなに健康増進に熱心なスポーツ好きが多いのかと思いきや、実は彼らのほとんどはお金のために走っているのである。自分の懐に入るお金ではなく、チャリティ募金だ。

方法はこうである。まず紙とペンを手に、友達や家族や同僚や隣人、とにかく思いつく限りの知り合いを回る。紙を差し出して、「○○のためにロンドンマラソンを走るから、スポンサーになってくれ」と頼む。○○は『動物愛護協会』だったり『心臓病リサーチ基金』だったり様々だ。頼まれた人はたいてい「いいよ」と言って、紙に名前と金額を書く。額はせいぜい1~2ポンドくらいだが、この人が日頃悪名高いカウチポテトだったりすると、「そりゃすごい」と言って£50などと書いてくれることもある。こうしてマラソン当日までにできるだけたくさんのスポンサーを集めておく。
完走できたら完走証明書とスポンサーリストを持って1人1人訪ねていき、リストに書いてあるだけの額を徴収する。そして集めたお金は全額チャリティに寄付するのである。もちろん完走できなければ募金もなしだ。

学校でもこの手の募金はよくやるようだ。この場合目的はチャリティだけではなく、学校の備品を買う資金集めだったりすることもある。内容は「歩こう会」というのが多い。5マイルとか10マイルとか目標を決めて歩き、達成できたら今度は集金に歩くのである。他には窓ふきとか洗車とかいったお手伝い要素の強い課題もある。この場合「お宅の車を洗うから1ポンドくれ」ではなく、「1週間に車を50台洗う」といった目標を設定し、達成できたらスポンサーからお金を集める。

感心するのは、こうしたチャリティスポンサー活動を考え実行するのが、お金を受け取る当のチャリティ団体ではなくて、その団体の活動に共感しているというだけの普通の個人達だという点だ。
ただ募金箱を持って金を集めるだけでは出す方も面白くないから、何かお金を出すに値することをやりとげ、そうやって集めたお金でひいきのチャリティに貢献したいと、マラソンだの歩こう会だの窓ふきだのにスポンサーを集めて頑張るイギリス人を見ていると、けっこういい国だよな、と思ってしまうのである。

大修館書店『英語教育』誌1997年12月号に「スポンサーの話」の題で掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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