ふだん着のスコットランド 1章 1


注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1995年1月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。


1章 スコットランドへようこそ

1. スコットランドは寒いのか?

スコットランドっていうと、北極圏の・・・

初めてスコットランドに来たのは大学生の時だ。母に「1年間休学してスコットランドで英語と歴史の勉強をしたい」と言うと、母は心配そうな顔をして言った。

「スコットランドって北の方にあるんでしょ。寒いんでしょ。あんたみたいな体の弱いのが暮らせないわよ。あんたは小さかったからおぼえてないでしょうけどね、北国の寒さって生半可じゃないんだからね」

私が生まれてから3年間ほど、私の一家は北海道の北見市で過ごしたから、これには体験者の言葉ならではの重みがある。こちらも神妙に聞いていると、母は続ける。「北極圏の、年中氷に閉ざされてるところなんでしょ。あっ、でも温泉が出るのか」

北極圏? 温泉? よくよく話を聞いてみると、母はアイスランドとスコットランドを取り違えているのだった。そう指摘すると今度は、「ああ、イギリスの隣の島のことね。じゃあ寒くないか」と言う。

……それはアイルランド。世界地図を出してきて、ここがアイスランド、ここがアイルランド、スコットランドはここだよ、と指し示すと、なーんだという顔をして母、「イギリスに行くんだったら、最初っからそう言えばいいのに。でも北の方じゃない。ほらね、どこか寒いところだってのはちゃんと知ってたんだから」

大学の友人たちはさすがにスコットランドがどこにあるかぐらいは知っていた(まがりなりにも西洋史専攻クラスである)が、やはり寒い土地というイメージがあるようで、留学中に受け取った手紙は、冬になるとみな「寒いんでしょうね」「もう雪は積もってますか」等々という時候の挨拶で始まっていた。勤めるようになってからも、日本から来るファックスに決まって寒さと雪の話が出てくるところを見ると、寒いスコットランドというイメージは日本ではかなり定着しているらしい。

「年間を通して温暖な気候」だって?

スコットランドはそんなに寒いのか? スコットランド開発局発行の案内書によれば、答えはノー。「年間を通して温暖な気候、美しい自然に恵まれた理想の生活環境……」とある。宣伝文句だから悪いことは書かなくて当然と言ってしまえばそれまでだが、この場合に限っては、誇大広告というわけでもないようだ。

それが証拠に、スコットランドにはイギリスで最大のユーカリ園があるのだそうだ。もちろん自生ではなく、はるばるオーストラリアから持ち込んだ株を増やしたものだ。私はテレビで紹介されているのを見てこれを知ったのだが、巨大な木の下に立ったレポーターが感心して「こんな寒いところでよくこれほど立派に育てましたねえ」とコメントすると、ユーカリ園の管理人のおじさんはにっこり笑ってこう答えた。

「いや、実はスコットランドの気候というのは、年間を通して極端に暑くも寒くもならないので、ユーカリには理想的なんですよ。イングランドではかえって冬の嵐にやられたりすることが多くて、難しくてねえ。」

意外にもスコットランドでは雪は少ない。北海道よりもずっと北、モスクワやカムチャッカ半島と同じくらいの緯度だから、当然雪も多かろうと思うのだが、まとまった雪が降るのは山間部に限られている。

私の住む中央平野部では年に3~4回も降るだろうか。ちょっと積もり始めると子供が大喜びして雪だるま作りに飛び出してくるところなんか、東京あたりと変わらないなあと思う。これではもちろん根雪になるはずもなく、数日もすれば雪だるまもろとも消えてしまう。

東京とは違って、スコットランドの冬は天気が良いわけではなく、雨がとにかくよく降る。ということは、寒い寒いと騒ぐほど気温が下がっているはずもないのだ。

日本車が底抜けバケツになる土地

学生の頃、夏休みに山形市に行ったことがある。市街地の道路の真ん中が盛り上がっているのを見て何だろうと思って聞いたら、除雪用に配管を埋め込み、水を流せるようにしているのだとのこと。スコットランドではこの類いのものを見たことがない。必要がないのである。

夜間に路面が凍結したり、霜が降りて滑りやすくなることはあるが、そんな時にはすかさず「グリッター」という車が出てきて、砕いた岩塩(これをグリットgritという)を撒いていく。この塩分で、氷も霜もきれいにとけてしまう。

少々話が脱線するが、1970~80年代には日本製の自動車はイギリスでは大変評判が悪かった。アメリカでは日本車が国産車を駆逐してしまう勢いだというので、反日感情が高まっていた頃だ。ところがイギリスでは日本車は、イタリア車とともに “rust bucket” と呼ばれて敬遠されていた。原因はこのグリット。冬の間異常に塩分の高いイギリスの道路を走り続けると、鉄板の塗装が薄い日本車は、たちまち錆びついて底が抜けてしまうのだった。

日本の自動車メーカーも今ではこの経験に学び、錆の問題を解決して、着々と市場シェアを伸ばしている。

それでもやっぱり寒いじゃないか

それではスコットランドは本当にそんなに暖かくて過ごしやすいのか? ……残念ながら、答えはこれもノー。スコットランド人に聞けば、みんな口をそろえてスコットランドは寒いと愚痴る。かく言う私も、気がつけばやっぱり毎日のように「今日は寒いね」と言っている。ユーカリには暖かくても、人間にとってはスコットランドは寒いのだ。

なぜ温暖なはずのスコットランドがそんなに寒いのか? 答は2つ、と私は見る。

答1。スコットランドは夏が寒いのだ。いや、はっきり言えば、スコットランドには日本でいうところの夏はない。

スコットランドに「夏」はない

スーパーでスイカを売っているのを見るたびに私の夫は物欲しそうな顔をするが、私は一度も買ったことはない。それで夫は私がスイカ嫌いなのだと思っているが、そんなことはない。スイカというものはかんかん照りの真夏日に汗だくで外から帰ってきて、ああ暑かった、冷たいスイカでも切ろうか、と食べるからおいしいのであって、気温が30度以下の時に食べては、スイカ食の作法にかなっていないような気がするというだけである。

1990年にスコットランド暮らしを始めてから5年間、気温が30度を越えたことは1回もない。そもそも20度を越えることすら年に何週間もないのだ。北東部ではたまに夏の気温がかなり高くなることがあって、28度という数字が出たのを見たことがあるが、私の住む中部地方では年に1、2回24度くらいになったのが最高。平年並みの夏の日中の気温と言うと17、8度くらいだろう。(注:余談参照)

気象統計の数字を比較すると、スコットランドの年間平均気温は函館とほぼ同じくらいなのだそうだ。ところが、月別平均気温を示したグラフを見てみると、スコットランドの気候は冬には函館よりずっと暖かく夏にはずっと涼しい。どのくらい涼しいかというと、南関東育ちの私の季節感では、4月から夏をとばして一気に10月に入るという感じだ。

スコットランドは日当たりが悪い

答2。スコットランドは日当たりが悪い。

日本人にはちと涼しすぎるスコットランドの夏も、慣れてしまうとそんなに寒いと感じなくなってくるものである。緯度が高いだけに夏は日が長くて、天気がいい日には、夜8時を過ぎても真昼のようにさんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びつつ、半袖姿で庭の芝生でも刈っていると、それなりに暑いような気までしてくるから不思議だ。しかし日がかげるととたんに風が冷たくなるところをみると、これは本当に暖かいというよりは、ひとえに陽光のおかげであるらしい。

問題は、スコットランドという国が陽光に恵まれていない点にある。

スコットランドと北アイルランドのあたりは低気圧の通り道になっていて、大西洋を越えてきた湿った気流が、ヨーロッパ大陸に上陸する前に、ここで一気に雨を降らしていく。それでも夏は、昼が長い分だけ日がさす確率も高いからまだいいが、冬には太陽を見ることもめずらしい。

ただでさえ曇り空、雨模様が多いのに加え、冬至の頃の日の出は9時過ぎ、日没は4時前だ。学校なり会社なりを終えて外に出ると、すでにあたりはとっぷりと暮れている。暗闇の中、気分からすでに寒々としているところに、冷たい雨が強風にあおられて、痛いくらいに顔にたたきつけてくる。

あくまでも雨であって雪ではないから、そんなに寒いはずはない、気の持ちようの問題だと自分に言い聞かせてはみるものの、やはり寒いのがスコットランドの冬なのだ。

大修館書店『英語教育』誌1995年1月号に「寒さの話」の題で掲載。)


©杉本優 許可なく転載不可


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