ふだん着のスコットランド 2章 1

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1998年3月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


2章 スコットランドに行こう

1. スコットランドに住む理由

スコットランドにはだいたい 600人くらいの日本人が住んでいると聞いたことがある。何年も前の又聞きだから、あまり正確な数字ではないかもしれない(注)。もちろん観光で訪れる数は含まない。

日本人が少ないから、ロンドンと違って日本食レストランは少ないし、日本人向けカラオケバーもなく全日制の日本人学校もない。上記 600人のうちには学生もずいぶん入っているはずだが、大きな割合を占めているのは日本企業の駐在社員とその家族だ。会社の命令で来たという人達である。スコットランドに来たいと自ら望んで来た人は少ない。

スコットランド人はそれを無理もないと思うらしい。ロンドンのような華やかさがあるわけでもなく、寒いし雨ばかり降っているし(注:1章 『Sunshines & Showers』参照)、誰が好きこのんでこんなところに住みたがるものか、俺だって金があったらスペインあたりに(注:4章 『ロブスターのホリデー』参照)家を買ってのんびり日の光を浴びて暮らしたいんだ……というのがスコットランド人のスコットランド観で、だからわざわざスコットランドを選んで永住している私のような人間は奇異に映るらしい。

どういう酔狂で、というニュアンスを響かせながら、「どういう理由でスコットランドに住むことにしたのか?」と聞いてくる。

本当は消去法でした

あまりよく聞かれる質問なので、決まりの回答というものをちゃんと用意してある。曰く、「スコットランド史の勉強のために1年留学したスターリング大学で、今の夫に会ったのよ。」

日本人は案外これだけで「そりゃロマンティックだねえ」と納得してくれるのだが、スコットランド人にしてみれば、日本人がスコットランド史など勉強したがるという発想がわからない。学校で習った時にはつまらなかったけどなあと首をひねり、変なガイジンもいるものだと面白がる。

確かに日本でもスコットランド史という分野は、今はどうか知らないが、私が大学にいた頃は非常にマイナーな分野だった。そのスコットランド史について卒論を書きたいがためにわざわざ留学までして、揚げ句に結婚してそのまま住み着いてしまうのだから、よほどスコットランドが好きだったのね、と上の回答を聞いた人はみんな考えてくれるのだが、実はそういうわけでもないのだ。

留学する2年前にも1か月ケンブリッジでホームステイしているのだが、週末にクラスメートからスコットランド旅行に誘われた時に、私は興味ないからと辞退したくらいだ。ただ単に、日本のイギリス史研究がイングランドに偏っているので違う分野をやろうと思っただけだった。アイルランドは今日まで紛争が続いているほどだから政治色が強くて扱いにくい地域だし、逆にウェールズはイングランドに併合された時期が早すぎて題材に乏しい。そこで、一番楽だと思われるスコットランドを選んだのである。

何のことはない、消去法で残ったというだけの安易な選択だ。

なれそめはスターリング

そういう安易な気持ちでスコットランドに来た人間が、いざ住んでみるとすっかり気に入って居着いてしまうのだから、人の一生はわからない。

私が最初に見たスコットランドは、エディンバラでもイングランドとの国(?)境でもなく、留学先のスターリングという小さな町である。国境を見ていないのはロンドンからの夜行バスを使ったからで、スターリングには朝7時前に着いた。

実はそれも、本当は南イングランドで観光するつもりがイースター休みでどうしても宿が取れず、そういえば夜行バスに乗るという手があるなと思いついて、予定を繰り上げてスコットランド入りしたのである。

スターリングの町は丘の上に建っていて、そのいちばん頂上にスターリング城がある。城門の前に駐車場があって、そこからスターリングの町と、その向こうに広がる牧草地と、その中をくねくねと蛇行しながら流れるフォース河と、その向こうに連なる丘陵を一望に見晴らすことができる。4月のよく晴れた日だったが、遠くの山は雪をかぶっていた。

窮屈なバスで夜を過ごした後の寝不足の頭でぼんやりとそれを眺めながら、ふーん結構いいところじゃん、と思った。それがスコットランドとのなれそめで、まあ、言ってみれば一目ぼれということになる。

スコットランドは素晴らしいか?

スコットランドに来て「ふーん、いいところだねえ」と思う日本人は、意外にたくさんいるようだ。駐在で来た人の中にも何て素晴らしいところなのだろうとすっかり気に入って帰る人がずいぶんいるし、エディンバラやインヴァネスを訪れる観光客も跡を絶たない。

あまり知られていないかもしれないが、日本スコットランド協会という、スコットランドを愛する日本人の団体も存在している。逆にスコットランドには日本協会というのがあって、お互いに交流がある。昨夏エディンバラで開催された両協会の親睦会に参加する機会があったが、日本びいきのスコットランド人とスコットランドびいきの日本人が一堂に会してのパーティは、私が一歩足を踏み入れてびっくりしたほどの盛況だった。

スコットランドに一目ぼれして定住帰化した日本人としては、同じ日本人がスコットランドを好きになってくれるのは、正直いって嬉しい。せかせかとした日本の暮らしに比べてのんびりしているのは確かだし(都会と田舎の違いでしかないのかもしれないが)、私もここのペースに慣れた身で東京には戻れないなと正直思う。

しかし、「こんな田園の中に住んでいるなんてうらやましいねえ」とか「住民がまるで昔の日本人のように素朴で心が温まる」といった声を聞いているうちに、私の中のあまのじゃくが首をもたげ、「ここだって夢の楽園じゃないんだよ」と言いたくなるのを感じる。

隣の芝生

イギリスに駐在する日本人の生活は「中流的」ではあるが「平均的」ではない。ミドルクラスという言葉は後者に誤解されがちだが、英語での語感はむしろ「裕福でお上品な階層」という響きがある。

「上流」が貴族・地主を意味するこの国では会社社長も大学教授も医者も弁護士も「中流」であり、日本人駐在員はそういう階層に入って暮らしているのだ。

日頃「人並み」に甘んじている日本人が「裕福で上品」の中で暮らせば、ゆとりがあって豊かと感じるのは当然だ。日本人が借りて住む広々とした家は、平均的スコットランド人には手の届かない高級住宅であり、日本人の愛飲するスコッチは、特別な時にだけ飲む高い酒だ。

のどかな田園風景に囲まれた歴史のある町スターリングは日本人滞在者に人気があるが、男性失業率が13%近い町でもある。逆にスコットランド人から見れば、10代の子供がポケベルや携帯電話を持ち歩き、うら若い女性がヴィトンのバッグを手に闊歩する日本の方が、ずっと豊かでゆとりがあるように見える。隣の芝生は青く見えるものだ。

「けっこういいところじゃん」でいい

ではなぜスコットランドを選んだのか、と問われれば、やはり一目ぼれしたからとしか答えようがない。日本が嫌いなのでもなければ、スコットランドに情熱的に惚れ込んでいるわけでもないのだが、「けっこういいところじゃん」の第一印象で始まったつき合いが、そのまま紆余曲折を経て今に至っているということだ。

この連載のテーマは、観光ガイドや大学の先生の蘊蓄本には出てこないようなふだん着のスコットランドの姿を紹介することである。スコットランドを売り込むつもりもけなすつもりもなく公平に書いているつもりだが、結局は私的な印象記である。違う人が同じ所に来て同じ体験をしても、全く違う感想を持つということはあるだろう。

だから、今までスコットランドになど何の関心もなかったという人にはぜひ一度お越し下さいと言いたいし、逆にスコットランドに憧れる方々には、あまり過度な期待はしないでくださいねと釘をさしたい。おそらく世界中どこを探しても、理想の土地なんてものはないのだと思う。

国の好きずきは人間の好きずきと変わらない。同じ人を嫌う人もあれば惚れ込む人もある。つきるところは相性だろう。たまたまスコットランドの水に肌が合い、根を下ろした人間のごく個人的な体験談だと思っていただければ幸いである。

大修館書店『英語教育』誌1998年3月号に掲載の文に一部加筆。)

©杉本優 許可なく転載不可

筆者注:

最近の領事館の数字を見たら、実は1000人を越えていました。もっともエディンバラの領事館はスコットランドだけでなく北イングランドも担当しているので、そちらも含めた数字かもしれません。ちなみにこれは在留届を出している人の数です。

私の場合、留学していた時は在留届なんてものがあることすら知らなかったので、数字には入っていなかっただろうと思います。現在は帰化してイギリス人になっているので、当然数に入っていません。そういうわけで、本当はスコットランドに住む日本人の数はもっと多いのかもしれません。


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