ふだん着のスコットランド 2章 3

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年7月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


2章 スコットランドに行こう

3. 山野は招く — またはミッジの話

スコットランドで自然を満喫

 スコットランドの何がいやかと聞かれると誰もが天気と答え、逆にスコットランドのいいところはと聞かれると、たいていの人が美しい自然と答える。自然はみんな美しいものだと言われればその通りだが、スコットランドはその美しい自然をたっぷり満喫できる国だ。

 1995年、映画界で突然スコットランドが人気を得た。

オスカー受賞の「ブレイブハート」ではロケの大部分がアイルランドだったが、スコットランドという土地への関心を高める効果はあった。

また「ロブ・ロイ」では、スコットランド人である監督が故郷の眺めをカメラに収めたいと撮った作品だけあって、ハイランドの雄大な風景がみごとにとらえられていた。

 映画の力はすごいもので、その後海外からスコットランドを訪れる観光客がずいぶん増えているそうだ。スコットランド観光局の偉いさん達はハリウッドに足を向けて寝られないだろう。

日本人がスコットランドに行くというと、どうもじゃあエディンバラへとなりがちだ。エディンバラは雰囲気のある町で私も好きだが、できたらやはりスコットランドの山野も見て帰ってほしい。

野外スポーツのメッカ

 地図で見るとスコットランドは面積もずいぶん小さいし(北海道と同じくらい)標高線もそれほど入っていないし(最高峰ベン・ネヴィスさえ1323メートル)、自然だ山野だと言ってもそんなにあるのと思うかもしれない。まあ確かに中国の秘境だのアルプスの高峰だのと較べられると困るが、スコットランドの売り物は変化に富んだ土地。本格的な登山ファンも満足する難しい山もある一方、普通の運動不足の都会人でも無理せず簡単に自然に触れることができるのが魅力だ。

最近は観光局もタータンとウィスキーの押し売りから脱皮して、野外スポーツのメッカとしてスコットランドを売り込み始めているようだ。

 ガイドをひっくり返してみれば、スコットランドで楽しめる野外活動は山のようにある。

まずヴィクトリア朝以来の伝統から始めると、鹿撃ち、雷鳥撃ち、鮭釣りという三大ハイランドスポーツ。私は狩猟なんて残酷、かわいそうと思ってしまうのだが、ヨーロッパ大陸には愛好家が多いらしくて、毎年驚くほどたくさんの人達がこのためにスコットランドを訪れる。

ハイランドにはヴィクトリア時代に狩猟用の別荘だった建物を改装したホテルがたくさんあり、こういうところに泊まってみるのも面白い。

 釣りはイギリスでは参加型スポーツのうちでもっとも人気があるスポーツなのだそうだ。サッカーのように体力が必要で、三十過ぎると観戦専門になってしまうというスポーツと違い、老若男女誰でもできるためだろう。

 ぼーっと座って水面を眺めるなんて退屈という行動派なら、もっと元気なウォータースポーツを。ヨットにモーターボート、水上スキーにジェットスキー、サーフィンにウィンドサーフィンと、水が冷たいのが少々難だが、いろいろやっている。

山は低くたって楽しめる

 水辺を離れて丘陵、山地に行けば、スコットランドは山歩きのメッカだ。

高さに挑戦するのは無理でも、場所によってはかなりスリルのあるロッククライミングが楽しめるし、冬の登山は標高が低いからと侮ると命取りになるほど技術を要する。

スコットランドでは標高3000フィート(900メートル強)以上の山をマンロー(munro)と言うが、munro-baggerと呼ばれる人達は、全マンロー制覇を目標にせっせと山登りに精を出す。何しろ数だけはたくさんあるのだ。あるいは24時間以内に幾つのマンローを登れるかを競う人達もおり、コースを綿密に計画すれば、1時間に1つずつ24マンローの頂きに立つというのも不可能ではないらしい。

 スキーやスノーボードも人気スポーツだ。ただしスコットランドの場合冬の気温が大陸ほど下がらないので、雪は量質共に当たり外れがある。しかも天候がくるくる変わるので、滑ってるうちにあれよあれよという間に吹雪になったりして、かなり怖い。スキーファンの間では、スコットランドで滑れるほど上手ならヨーロッパどこへ行っても大丈夫と言われるほどだ。

 もちろん、体力の限界に挑戦するようなことをしなくてもスコットランドの自然は十分に楽しめる。ハイキングに向いた安全快適な山歩きならぬ丘歩き(hill walking)ルートはたくさんあり、山あり渓谷あり湖ありの風景を楽しみながら、自分のペースで歩けばいいのだ。町から車で十五分くらいのところにある丘を登り、放牧されている羊と一緒にてっぺんで一休みするなんて経験は、日本ではなかなかできるものではない。

野外の大敵、ミッジ

 ところが、この野外スポーツの天国スコットランドにも泣きどころがある。これを称してミッジ (midge)と言う。

辞書を見ると単に「小虫」などと書いてあり総称的な単語だが、スコットランドでミッジと言えばこれは“biting midge”のこと。和名では糠蚊、蚊ではないのだが蚊と同様の吸血虫である。

 よく蚊に刺される人とあまり刺されない人がいるが、私は蚊に好かれる方で、日本にいた頃は同じ部屋に何人もいるのに私だけが集中して刺されるということがよくあった。

初めてスコットランドに来た時は、これでにっくき蚊から解放されると喜んだものだった。

 ところが明るい夏の夕方に散歩をしていると、何だかやたらと小さい虫がまとわりついてくる。羽のあるアブラムシくらいの大きさで、気にもかけないでいると急にあちこち痒くなってくる。変だなあ、蚊なんて見なかったのにと思っていたら、それがミッジだった。

水辺の夕方はミッジの天下

 ミッジは野外で刺す虫で、特に水辺に多く、昼間は隠れていて夕方に出てくる。

我が家では夫が寝ぼすけなので、週末など午後4時くらいから丘陵地へドライブに出掛けたりするが、スコットランドの夏は日がなかなか暮れないので、7時を過ぎても昼間同様に明るい。人間がまだまだ昼のつもりで油断して歩いていると、ミッジがそれ夕方だとわっと出てきて刺しまくる。

 蚊に較べるとずいぶん小さいが刺されるとものすごく痒く、痒みは数日続く。映画のスコットランドロケでもミッジには泣かされたらしい。「ロマンティックな野外ラブシーンの撮影でさんざん刺され、演じている方はロマンティックどころではなかった」とは女優の弁である。

 夫の兄は大の釣り好きで、以前は夫もよく一緒についていったらしいが、ミッジにはほとほと困ったようだ。虫よけスプレーというのを見つけたので使ったら、虫の方もしぶとくてスプレーのかかっていない部分を狙おうとする。その結果ミッジが目の中に飛び込んできてさんざんな思いをしたので、その次からはオートバイ用のフルフェースのヘルメットのバイザーをきっちり下ろし、スターウォーズのダースベイダーのような姿で出掛けたそうだ。

これぞ無敵のミッジ対策

 義兄の方は今も休みとあらば釣竿を車に積んで出掛けていくが、この前会った時に、ミッジよけの新兵器というのを見せてくれた。細かいネットの袋状のもので、頭にすっぽりと被るようになっている。ただ被っただけでは頭と鼻がネットに触れ、ネット越しに刺されるので、つばのある帽子の上から被ると首まで覆う蚊帳という感じになる。これと長袖長ズボン、厚い靴下に手袋を着れば、肌の露出がまったくなくなるわけだ。まあじっと座っている分には問題ない。

 私の場合は庭の芝刈り中に刺されることが多い。

普通ミッジは住宅地の庭なんかにはやってこないものだが、我が家は住宅地の一番外れにあり、庭の向こうは歩道を一本隔てて灌木の茂み、その先は牛馬が草をはむ牧草地で、反対端には小川が流れ、今は使われていない運河も流れている。ミッジには理想的な田園風景で、そこから人血を求めて私の庭までふらふらと迷い込む。そして、定時で会社から戻った後、さて今日は天気もいいし今のうちに芝でも刈っておくかと夕方の庭に出てきた私を襲うわけだ。

 芝刈りはけっこう動き回って汗をかくので釣り師風重装備はちょっとつらい。そこで去年の夏は母に頼み、日本から蚊取り線香と携帯用の上下からネットで挟む式のホルダーを送ってもらった。これをベルトに引っ掛けてくゆらせながら芝を刈ると、ちょっと煙いが効果てきめん、ミッジ相手にもちゃんと威力を発揮した。今年は丘歩きにも試してみようと考えている。

大修館書店『英語教育』誌1996年7月号に掲載。)


©杉本優 許可なく転載不可


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