ふだん着のスコットランド 2章 4

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

 


2章 スコットランドに行こう

4. 野ねずみの紙幣

どうしてこんなにお札があるの

スコットランドに初めて来た人がとまどうのが、この国に流通するお金の仕組みだ。

初めての外国でまず最初に悩むのが、見たこともないコインやお札の価値をしっかり頭に叩き込むことであるのは、どこに行っても同じだと思うが、スコットランドの場合はちょっと特別である。何が違うかというと、スコットランドには紙幣発行権のある銀行が、スコットランド銀行(Bank of Scotland)、王立スコットランド銀行(Royal Bank of Scotland)、クライズデール銀行(Clydesdale Bank)と3つもあるのである。

 

イングランド銀行は日本の日本銀行と同じく政府の国庫を預かる中央銀行で、イギリスの通貨発行権を独占している、というのが本筋なのだが、現実はそうすっきりしていない。独占しているのは硬貨だけで、紙幣発行独占権についてはイングランドとウェールズに限られ、スコットランドと北アイルランドでは地元銀行の紙幣発行権が残ってしまったのだ。

スコットランド銀行と王立スコットランド銀行の2行は元公立銀行だそうだが、クライズデールも含めた3行とも、イングランド銀行とは違って市民や企業の口座を預かる市中銀行である。

 

紙幣発行銀行が3つあるため、同じ額面でも図柄の全く違う紙幣が各3種類ずつ流通している。

いや、イングランド銀行発行の紙幣ももちろんスコットランドで使われているから、合計4種類と考えるのが正しいだろう。おまけに、イングランドではずっと前に廃止された1ポンド札が、スコットランドでは今も流通している。

 

とは言え、絵柄は銀行によって違っても、色は1ポンドなら緑、5ポンドは青などと統一されていたから、慣れてしまえば意外と気にならない。代わりに、たくさんある図柄を集め、較べて眺める楽しみも生まれてくる。

 

お米屋さんとウォルター・スコット?

まず、一番歴史の長いスコットランド銀行。

この銀行のシンボルマークは日本の米屋の印に酷似していて、スコットランドに来て早々は、この銀行の支店を町で見掛けるたびに何だかおかしくて笑ったものだった。しかし紙幣のデザインについては、当時は何も面白みはなく、額面を問わず全部同じデザインで、違うのは色と数字だけだった。

 

1995年に創立 300年を迎えたスコットランド銀行は、その記念と偽造防止対策を兼ねて紙幣デザインを刷新し、やっと裏面の図柄を額によって変えるようにした。

しかし、「スコットランドを支える基幹産業」というテーマになっているらしいこの図柄が、どうもやっぱり面白くない。

この銀行の紙幣についての唯一の興味はというと、イングランド銀行券なら女王の顔があるべきところに、なぜかウォルター・スコット(Sir Walter Scott)の顔があることだろう。

 

お札をガイドに名城めぐり

似たような名前だが別銀行である王立スコットランド銀行は、スコットランド最大規模を誇り、この銀行のお札も一番よく出回っている。

現在1ポンド札は硬貨に押されて消えつつあり、スコットランド銀行とクライズデール銀行は1ポンド札の発行を中止してしまったようだが、王立スコットランド銀行は今でも1ポンド札を出し続けている。

 

王立のお札の表は全部同じデザインで、初代総裁の顔が入っている。裏は名付けて「スコットランドの名城シリーズ」、額面ごとに違ったお城の絵になっている。1ポンドがエディンバラ城、5ポンドがカリーン(Culzean)城、10ポンドがグラミス(Glamis)城。お札をガイドにしてスコットランドのお城巡りなんていうのも面白そうだ。

 

ブルース、リヴィングストン、そしてねずみ

しかし私のひいきは何と言ってもクライズデール銀行である。

元公立の2行に比べると小規模な銀行で、紙幣も他二種類ほどよく見掛けないが、ここのお札は表、裏とも額面ごとに違う。テーマは「スコットランドを代表する人物」らしい。

 

私が留学した当時はまだかなり出回っていた1ポンド札には、表に14世紀にスコットランド独立戦争を指導した救国の英雄、ロバート・ブルース(Robert Bruce、ロバート1世)を配していた。裏は王が兵士達を率いて戦いに赴く図となっている。

このロバート王だが、手持ちの20ポンド札を見てみると、こちらにもしっかり登場している。もともとそうだったのか、それとも1ポンド札の発行をやめた時に、英雄ブルースを惜しむ声に応えて高額紙幣に昇格させたのか、事情は知らない。いずれにしても、この人物に対するスコットランド人の思い入れの強さを実感する。

 

10ポンド紙幣の表は伝道師で探検家のデイヴィッド・リヴィングストン(David Livingstone)。

ナイル河の水源を求めて旅し、アフリカで死んだリヴィングストンは、冒険のロマンを体現するような人物だ。裏には彼のアフリカ探検の足跡を示す地図が描かれている。

 

私がいちばん好きなのは5ポンド札だ。表にはスコットランドの誇る国民詩人、ロバート・バーンズが描かれているが、私が好きだったのは裏の方である。

うららかな空と田園を背景に、野ばらの枝の上に野ねずみが1匹佇んで、じっと遠くを眺めている。

 

ねずみや人の精一杯の知恵も・・・

留学当初はバーンズの詩などほとんど知らず、この絵もお札にねずみという取り合わせがなんとも奇妙で面白いと思っただけだったが、後になってこの絵の出所がわかった。

「ねずみに寄せて(To a Mouse)」はバーンズの詩でももっとも親しまれているものの一つ。野ねずみが安全な畑の中にせっせと作った巣は、農夫が鋤を入れたためにこわされてしまう。ねずみや人の精一杯の知恵もうまくいかないことが多いものだ、という内容。スコットランドでは小学校で習うらしい。

 

この詩の一節“Best-laid plans of mice and men”は、今では諺として広く使われている。

何か思いつきや計画が頓挫してしまった時などに、スコットランド人はため息と共にこの決まり文句をつぶやくのだが、これを聞くたびに私は5ポンド札のねずみの悟ったような顔を思い浮かべてしまうのだ。

 

スコットランド紙幣はスコットランドの外でもちゃんと法定通貨として使えるのか、という疑問がよく出る。イングランドのお店でスコットランド紙幣を出したら突っ返されたという人もいるし、イングランドで10ポンドの物を買うのにスコットランド紙幣だったら11ポンド出さなくてはいけないと言われた人もいる。

しかし本当は、イギリス国内ではスコットランド紙幣もイングランド紙幣と同じように通用するというのが決まりだ。

ただし、イギリスから一歩出てしまうと国際為替として認められているのはイングランド銀行券だけ、スコットランド紙幣を両替しようとしてもすげなく断られてしまう。

 

ユーロ時代にねずみは生き残れるか?

スコットランド人の愛するスコットランド紙幣が、実は今、存続の危機に瀕している。欧州共通通貨「ユーロ」の導入が刻々と迫っているためだ。

 

このユーロ、ヨーロッパに中央銀行を設立してそこで全加盟国に流通させるお金を全て製造するわけではないらしい。各加盟国の中央銀行がそれぞれがユーロ札を発行するのである。発行国は違っても同じ額面のユーロなら平等に扱われる。

現在スコットランドに4種類のポンド札が出回っている状態を、ヨーロッパ全体に拡大したと思えばいいのだ。

 

ところが、ユーロを発行できるのは欧州連合が承認した銀行だけだ。放っておいたら、当然イギリスでは、国際的に通貨発行権を認められているイングランド銀行だけが承認を受けることになる。

 

現在スコットランド国民党は、スコットランド紙幣の見本とその輝かしい歴史をまとめた宣伝キットを小脇に抱えて欧州連合委員会メンバーを訪ね、「独自紙幣発行の伝統を維持させてほしい」と陳情の行脚中である。

「欧州内で独立国として立つ」をスローガンにする国民党にとって、EUは党の人気復活を実現してくれた救世主なのだが、その救世主がスコットランドの大切な伝統を殺してしまうとなれば、まさに「ねずみや人の精一杯の知恵が裏目に出る」の図だ。

 

ヨーロッパの要人たちは、お札の裏で今日も思索にふけっている野ねずみに同情を感じてくれるだろうか。

 

大修館書店『英語教育』誌1996年12月号に掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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