ふだん着のスコットランド 3章 2

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

3章 スコットランドの味

霜降る夜のアイスクリーム

夜のしじまにオルゴールの音が・・・

冬の夜9時頃、窓の外のしじまを破って、どこからかオルゴールの音が近づいてくる。
テープの録音をメガホンか何かで大きくしているらしく、音が割れて少しも美しくないのだが、確かにオルゴールの音楽である。何の曲だったかなあとぼんやり歌詞など思い出そうとしていると、ばたばたと階段を駆け降りていく足音が響く……。

留学中、大学キャンパス内の寮で暮らしていた頃の思い出である。このオルゴールの正体を、私は長いこと知らなかった。

日本で住んでいた地域ではごみの回収車がオルゴール音楽を鳴らして走る。昔は「乙女の祈り」か何かだったが、やがて新しく作った「市民の歌」に変わった。だからオルゴール音楽と言えばごみの収集という先入観を子供の頃から持っていた。
しかしごみなんて普通は朝集めるものではないか。
何だろう、不思議だなあと思いながらも別に深く追及することもなく、毎晩オルゴールの訪れを聞くともなしに聞いていたが、やがて正体が判明した。
アイスクリーム販売車だったのだ。
オルゴールに続いて響く階段の足音は、さあアイスクリームが来たぞと買いに走る寮生たちだ。

え?でも、季節が・・・

「冬の夜」って言いませんでしたっけ、と鋭い読者は気づかれただろう。
アイスクリーム販売車(icecream van)は本当は夏も秋も、年中欠かさず訪れており、ついでに言えば、明るいうちにやって来る販売車だってあるのだが、その存在に私がやっと気づいたのがたまたま冬の夜だっただけである。
誰かが教えてくれた……と言うか、「あっアイスクリーム・ヴァンが来た、買いにいこう!」と叫んでくれたのでわかったのだ。
「アイスクリーム売りだって?でも夜なのに……冬なのに……寒いのに……」と、その時の私も思った。日本人なら当然の反応であろう。

後に知ったことだが、日本と違ってイギリスでは、アイスクリームも季節商品ではないらしい。
確かに、冬でも暖房が効いた部屋にいれば、ちょっと冷たいものが食べたくなることもあろう。食後のデザートとしてもさっぱりとしてよい。そもそも夏にもそんなに暑くなるわけではないのだし、アイスクリームは暑いから食べたくなるものだという発想が最初からないのかもしれない。

ジャケットをかき合わせてほおばるアイス

やはり留学中、休暇にハイランドを長距離バス(coach)で旅行したことがあった。アイスクリーム・ヴァンを知る前の、夏の終わりである。
雨が多くて気温も18度を出ない、スコットランドにとっても平年を下回る冷夏だった。

インヴァネスから北海岸の町サーゾーまで、寒々とした無人の風景の中をバスに揺られて走ったが、イギリスのバスの常でやたらと換気がよく、じっと座っているとだんだん寒くなってきた。冷え性なので手足が冷たくなり、たまらない。Tシャツの上に長袖の木綿シャツと薄手のセーターを着ていたが、さらにデニムのジャケットをかき合わせて貧乏揺すりをしていたら、バスが止まった。

主要幹線道路ではないから途中サービスエリアのようなものもなく(トイレはバスについていた)、そこはどことも知れない小さな村の、小さな雑貨屋の前だった。バスの運転手が振り返って言った。
「15分ほど休憩します。飲み物、アイスクリームなど欲しい方は、ここのお店でどうぞ。」
私は耳を疑った。この寒いのにアイスクリーム? 訛りのせいで聞き間違えたんだろうか。リスニングにはあまり自信ないし……。
しかし嬉々としてバスを降りた人達は、確かにアイスクリームをなめなめ戻ってきたのだった。

思えば日本でもっぱら夏の飲み物とされるビールも、こちらでは季節を問わない定番だ。冷たい冬の夜風に凍えた体でパブに入っても、熱燗なんかない国のこと、私など冷たい飲み物なんか考えただけで寒さに身が震えるが、こちらの人々はまったく平気な様子でラガーを頼む。
アルコールで体が中から暖まるだろうと言うのだが、アルコールが回るまで待つ間がやっぱり寒いと思う。寒いのにビールを飲むのもアイスを食べるのも、おそらくは慣れの問題なのだろう。

アイスだけ売っているわけじゃないけれど

さらに念のためつけ加えれば、名前がアイスクリーム・ヴァンだからと言ってアイスクリームだけ売っているわけではない。チョコレートにポテトチップ(crisps)に炭酸飲料と、幅広くとりそろえている。
今の家に引っ越すまでは私の夫もアイスクリーム販売車を頻繁に利用していたが、彼の場合はタバコを買うためだった。近所に立ち寄れるような手頃な店がなかったので、毎晩同じ時間にやってくるアイスクリーム売りをありがたく利用していたのだ。
私も、紅茶に入れる牛乳を切らした時にはオルゴールの音を心待ちにしたものだ。

そうは言っても、アイスクリーム・ヴァンと呼ばれるだけに、主力はやはりアイスである。
そもそも通称というものは人々の持つ観念を正直に反映するもので、イギリス名物フィッシュ&チップスにしても、全国津々浦々の自称”Fish & Chiken Bar”が、住民にかかるとみんな通称”Chip-shop”や”Chippie”になってしまうのは(注:本章『魚のサパー』参照)、やっぱり人々の心がまずほくほくと熱い、酢のきいたチップスの山盛りを求めているからなのだ。
魚や鶏肉なんて芋の添え物、トッピングみたいなものでしかない。

というわけで、アイスクリーム・ヴァンなるものが毎夜徘徊するのも人々のアイスクリーム好きの反映に他ならないと思う。私にオルゴールの正体を明かしてくれた寮生も、戻ってきた時にはちゃんとアイスクリームを手にしていた。

タフガイだってアイスを

アイスクリームに限らず、イギリス人は甘い物好きだ。
日本では甘い物はとかく女子供の食すものと昔から考えられ、「甘党」と言えば単に甘い物好きという意味ではなくて酒の飲めない(ふぬけな)奴という意味になっている。男たるもの甘ったるい菓子など喜ぶものではないという伝統が存在しているのだ。

イギリスでは、いかにも肉体労働者風に日焼けした、筋肉もりもり、胸毛もしゃもしゃ、腕には入れ墨が縦横にのたうっているようなおっさんが、悪びれる様子もなくチョコレートバーをぼりぼりかじって歩いているのに出くわしたりする。
チョコレートバーは間食用スナック、あるいはお弁当のおやつとして食べられることが多く、腹持ちの良さ、食べごたえの充実感を売り物にしているので、テレビのコマーシャルでも、いかにもスポーツマンらしい青年男性が豪快にばりっと食べるというパターンが多い。そんな国なら確かにアイスクリーム巡回販売もちゃんと商売になるだろう。

最後に、アイスクリームにまつわる怖い話を一つ。
オルゴールのかわいらしい音楽にのってやってくる、子供にも大人にも人気のアイスクリーム・ヴァンだが、かつてこれがスコットランドで凶悪犯罪のきっかけになったことがある。時は70年代末から80年代初め、舞台はグラスゴー。アイスクリーム・ヴァンがなかなかの収益を上げるというので、我も我もとアイスクリーム販売に参入するようになった頃だ。

巡回販売だから、当然ルートを決めて毎日回るわけだが、ヴァンの数が増えるにつれて競争が激しくなり、当然の結果縄張り争いが生じて、これが「アイスクリーム戦争」と呼ばれるようになった。
童話のタイトルみたいだが、そんなにかわいいものではない。販売車を叩き壊すなどの悪質な営業妨害が相次ぎ、ひいては地元ギャングの力を頼んで殴り込みに行かせたりと、まさに戦争の様を呈した。

そのクライマックスは、あるアイスクリーム売りの住むアパートが放火され、中で寝ていた一家全員が焼死するという事件だった。
やがてグラスゴーで悪名を馳せていた乱暴者が犯人として捕らえられ、終身刑を受けた(イギリスでは死刑は1960年代以来廃止されている)。

もっともこの人物は今に至るまで一貫して無実を主張しており、その後唯一の証人が警察に勧められて偽証したことを認め、冤罪を疑う声が高まった。市民団体などの地道な支援運動が続き、ようやく再審請求が認められようとしている。
アイスクーム販売車のオルゴールが再びのどかな夜の風物詩に落ち着いた今も、アイスクリーム戦争の幕はまだ閉じられていないのである。

大修館書店『英語教育』誌1996年11月号に掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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