ふだん着のスコットランド 3章 3

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

3章 スコットランドの味

鉄骨ジンジャー

ポップとはなんぞや

スラングは面白い。
もちろん仕事で英語を使うには、折り目正しい英語が話せなくては商売にならないのだが、その一方で、ごく一般のイギリス人の普通の会話についていけるようになりたいなら、スラングの知識はどうしても必要だ。
スラングは地域性がとても強くて、もちろんアメリカ俗語とイギリス俗語はずいぶん違うし、同じイギリスの中でもスコットランドのスラングはイングランドと異なる場合がある。

数年前、夫と二人で一週間、休暇に北東イングランドで安い海辺のキャラバンを借りた。
私はキャラバン生活など初めてだし、夫の方も子供の頃以来だったから、経験豊かな夫の両親に、何を持って行くべきか教えてもらうことにした。義母は二つ返事でリストを作ってくれた。

さて、私の夫は生まれも育ちもスコットランドだが、義母はニューカッスルっ子、つまり生粋のイングランド人である。だから、もう何十年もスコットランドで暮してはいても、言葉遣いはいまだにちょっと違う。
もらったリストはシーツに枕カバー、タオルから始まって、トイレットペーパー、パン一斤、チーズ、ハム缶詰、果物、ケチャップ等々、読みにくい走り書きで延々と続いていたが、その中に何だかよく分からないものが一つあった。

夫に見せると、しばらく首をひねってから、「ああわかった。cheap popだよ」と言う。popって何だ、と重ねて聞くと、夫は笑って答えた。「lemonade、fizzy drinkのことだよ。」
それならわかる。つまり、日本で言うところのジュース、正確には「炭酸飲料(carbonated drink)」のことだった。

シューっと泡が立つところからfizzy drinkとも言うが、一番一般的な炭酸飲料がレモネードなので、コーラもファンタもみなひっくるめた総称としてレモネードという単語がよく使われている。イングランドではそのさらにくだけた表現としてポップなる単語があるのだった。
確かにキャラバンに行ってみると、海岸に並ぶ軽食屋の看板には「バーガー、フィッシュ&チップス、ティー、ポップ」等と書いてあって、ごく当たり前に使われているようだった。

ポップじゃなくて、スクーシュにジンジャー

スコットランドでは、炭酸飲料をポップと呼ぶ人はまずいない。では何と言うか? 私の知っているスラングは2つ、「ジンジャー(ginger)」と「スクーシュ(skoosh)」だ。
スクーシュの方は純然たるスコットランド語で、英語のsquirtに当たる単語。液体を勢いよく噴き出すという意味の動詞が原義で、例えば車のワイパー液を噴き出すノズルのことをスコットランド人はよく”skoosher”と呼ぶ。

これがなぜ炭酸飲料になってしまったのかというと、瓶入り炭酸飲料の蓋を開けるとガスが抜ける音がする、あれがスクーシュ!と聞こえるから、ということらしい。なるほど。

さらにわけが分からない不思議なスラング「ジンジャー」は、特にグラスゴー周辺地域を中心に、よく使われている言葉だ。
原義はもちろん生姜のことだが、生姜がどこでどう転んで炭酸飲料に変身したのか。レモネードと並んでイギリスの伝統的な清涼飲料の一つであるジンジャー・ビアー(ジンジャー・エールより生姜味が強い)から由来するのではないかと思うが、これはただの推測である。

もともとは総称的なスラングだった「ジンジャー」だが、今ではジンジャーというと特定の飲み物を指して使われていることが多い。
スコットランド独特のスラングを冠するにふさわしいスコットランドの国民的炭酸飲料、コカコーラもレモネードもジンジャー・ビアーも足元に及ばぬ絶大な人気のあるこの飲み物、正式にはその名をアイロン・ブルー(Iron Brew、商品名の綴りはIrn-Bru)、つまり「鉄を煎じた」飲み物、という()。
コマーシャルでも「鉄骨から作ったスコットランド生まれのアイロン・ブルー!」と宣伝しているくらいで、実際に0.002%とわずかではあるが鉄分が加えられている。

鉄を煎ずればジンジャーとなる?

元祖発売元で最大手のバー(Barr)社製「Irn-Bru」をはじめ、他社の類似品やスーパーの独自ブランド、その上最近は缶入りやら大小さまざまのペットボトル入り、近頃のダイエットブームを反映した無糖のダイエット・アイロン・ブルーまで出て、すっかりバラエティに富むようになったが、元祖アイロン・ブルーは750mlガラス瓶入りで、今でも現役でちゃんと頑張っている。

この瓶はデポジット付きで、お店に返すといくらか小銭が戻ってくるため、我が家にも近所の子供が時々「ジンジャー瓶(giner bottle)回収しまーす」と回ってくる。商魂たくましい子供の小遣い稼ぎなのだが、私の夫によるとこれは子供に限らないそうで、以前で働いていた工場では、煙草代を稼ごうという連中がよくリヤカーを引いて「ジンジャー瓶回収」に構内を回って歩いていたという。そのリヤカーが、一回りする頃には瓶で山積みになったというから、スコットランド人の「ジンジャー」愛飲ぶりがよく分かる。

さて、生姜はまったく入っていない鉄煎飲料がジンジャーの名を頂戴したのはなぜだろう。
これも想像にまかせるしかないが、おそらく赤みの強い黄色をジンジャー色ということからの連想で、毒々しいオレンジ色をしたアイロン・ブルーが特にジンジャーと呼ばれるようになったのだろう。
あるいは、アイロン・ブルーの鼻につんとくる独特の刺激味が生姜を思わせるからかもしれない。

私は炭酸飲料はあまり好きではないのでアイロン・ブルーも滅多に飲まないが、味見をしてみるとこの飲み物、その名の通り鉄さびのような後味があり、そのつんとした匂いにしても、リヤカー一杯飲みたくなるほどおいしい飲み物だとはとても思えない。

人気の秘密は朝にあり

この鉄さびドリンクの人気の秘密は何か?瓶のデポジットが小遣いになるという点を除けば、特にコーラやレモネードに較べても安いわけではないし、鉄分が入っているといっても砂糖の量に較べれば微々たるもので、健康飲料とはお世辞にも呼べない。また、コカコーラのCMにひっかけて笑わせる気の利いたTVコマーシャルの効果にしても、ごく最近のことだから、長年に渡る根強い人気の原因ということにはならない。

この不思議な国民飲料の謎を解く鍵は、スコットランド人がアイロン・ブルーについて語る時に頻繁に口にする慣用句”Morning after the night before”にある。直訳すれば「昨夜の翌朝」。
日本語になってもなおピンとこないという方のために説明すると、この翌朝とは通常日曜の朝のことであり、従って昨夜とは土曜の、友人仲間と行きつけのパブに出かけて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げた夜のことである。

ここまで言えばもうお分かり、「昨夜の翌朝」とはひどい二日酔いとともに目覚める朝を指す慣用句であり、アイロン・ブルーは酒飲みの国として世界に名をとどろかすスコットランドの、国民的二日酔い特効薬なのだ。
そう言われてみれば鉄さびの味も舌に残るビールの後味を消すにはちょうど良さそうだし、鼻につんと立ち上ぼる刺激臭は胸のむかつき解消に効きそうだ。

非清涼飲料の王者は

スコットランド人は恐ろしげな飲み物をよくも飲むものだとあきれていたら、前述した北東イングランドのキャラバン休暇の際、アイロン・ブルーも顔負けの不気味な炭酸飲料を見つけた。
北東イングランドの伝統的清涼飲料だと言うのだが、「清涼」の言葉がこれほど当てはまらない清涼飲料もない。

これも生姜ならぬ植物にゆかりの名を持つ飲み物、ただしこちらはスラングではなく正式名称で、”Dandelion & Burdock”という。たんぽぽとごぼうのドリンクと言うと、ソフトドリンクというよりはむしろ漢方薬のような印象だ。
見た目はコーラのような色、蓋を開けるとアニスのような独特のくせのある匂いがする。味も甘くした飲み薬みたいだが、こちらは二日酔いに対する効能はないのに、誰がどうしてこんなものを飲むのだろう。

……とイギリス人の味覚をけなしてきたが、スコットランド人の同僚によれば、今まで試したソフトドリンクの中で一番まずかったのは、日本人の同僚が御土産だと言ってくれた、日本の缶入りコーヒーだそうな。甘ったるいコーヒーを冷やして飲むなんて理解できない、そもそもミルク味の缶入りドリンクなんて考えただけで胸がむかつく、という話だ。
味覚もスラングと同様に地域性が強いものらしい。

大修館書店『英語教育』誌1995年2月号に「『ジンジャー』の話」の題で掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可

筆者注:

この回の原稿を見た編集さんに、「アイアン・ブルー」と書いた方がいいのでは?と聞かれました。
Ironは確かにゴルフなどではアイアンと言いますし、アイロンじゃぬかみそ臭い(?)かなあと私自身思わないでもなかったのですが、結局やっぱりアイロンという結論に辿りつきました。スコットランド人はR音を巻き舌で発音するので、イングランド人のRと比べるとかなり強く聞こえるのです。
日本人発音なら、「アイアン・ブルー」より「アイロン・ブルー」と言った方が絶対通じやすいと思います。機会があったら試してみてください。「ブルー」の方も「青」にならないようしっかり巻き舌にするのをお忘れなく。


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