ふだん着のスコットランド 3章 4

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

3章 スコットランドの味

紅茶の作法・紅茶の無作法

普通のお茶もあるんです

イギリス人はよく紅茶を飲む。これは誰でも知っているわけだが、どうも日本ではこの習慣が異常な祭り上げ方をされているような気がしてならない。
日本の雑誌や本で「イギリス式ティータイムの作法指南」なんていう文章を見ると、お茶は何とかいう高級銘柄で、淹れ方はどうとかお茶請けはこうとか、読んでいるとその四角四面なお上品さに恐れをなしてしまう。日本人はとかくイギリス人について、昔気質で優雅に暮らす貴族とか伝統を重んじる紳士とかいったイメージを重ねたがるものだが、よほどお育ちの良い人々の話をもとに書いたものなのだろうか。

紅茶なんてものは所詮日本のお茶のイギリス版。日本でお茶と言う時に、一方に裏千家流お点前のお茶があり、その対極に夕食の後こたつですするお茶があるように、イギリスのお茶にも王室茶会がある一方で、我々と同じような普通の人達がああおいしいと言って飲むお茶がある。
日本でも、来客があったり喉が渇くたびに茶室できちんとお茶を点てる人なんていないわけで、イギリス人も大多数はルールなんて気にせず普通の飲み物として紅茶を楽しんでいるだけだ。

イギリス階級社会は健在なり

もっとも、イギリスの中流階級の一部には「上流階級になりたい症候群」というものがあるらしくて、P’s & Q’s(行儀作法)に目くじら立てるのはこの症状の一つだ。
BBCのコメディシリーズ”Keeping Up Appearances”(「体面守って」とでも訳せるか)は、この症候群の典型的患者である主婦が、周囲の顰蹙も顧みず自分の上流ぶりを誇示しようとしては巻き起こす珍騒動を描いたものだ。例えばこの主婦が隣人を家に招いてお茶を淹れる場面では、彼女はいったん出したお菓子の皿を隣人の目の前から恐ろしい勢いでひったくり、真っ赤になって叫ぶのだ。「紙ナプキン敷いてない!」と。この番組が中流階級の視聴者の間で特に人気があるところを見ると、中流階級にはこの手の隣人に迷惑を被っている人が結構多いのかもしれない。

逆にイギリスの労働者階級は、労働者階級の出身であることにやたらと誇りを持ち、中流階級的価値観を強く蔑視する傾向がある。(上流階級に対する反感はそれほどない。上流の人々は自信家で、体面とか人目をまったく気にしないので、かえってそこに好感が持てるらしい。)
だから労働者階級の人々は、「お上品ぶってるくせに実はがめつい中流階級なんかとは一線を画した実直な生活ぶり」を誇示し、誰かがお作法にけちなどつけようものなら、ことさら意地になってその反対をいこうとする。ジョン・メージャー首相が何と言おうと、階級社会は今も健在なり、だ。

こたつ流紅茶道

お茶の話に戻って、では「お点前流」ではない「こたつ流」イギリス式紅茶の飲み方とはどんなものか?

イギリス人の家を訪問する機会があったとする。お上品なティーパーティに招待されたというのではなくて、一般庶民宅に「ちょっと上がってかない?」と言われて寄ったような場合である。
居間のソファに寛ぐと、家の主人がお茶を出してくれる。「何飲む?」と聞かれることはまれで、「お茶いかが?」と聞かれてノーと答えると、喉が渇いていないという意思表示と取られる。
どうしても紅茶がいやなら、「もしあるなら、できればコーヒーの方がいいんですけど……」とおずおず聞いてみよう。ただしいつでもあるとは限らない。我が家でも、コーヒーの方がいいと言うお客が来てジャーを開けてみたら、中で顆粒が固まって岩石と化していたという経験が何度かある。

紅茶はほぼ間違いなくティーバッグだ。
ダージリンだアール・グレイだなんてうるさいことは言わず、スーパーで 160個入り2ポンドくらいで売っている「何のへんてつもないティーバッグ」で充分おいしい。イギリスのティーバッグはポットに入れて使うもので、ひもは普通はついていない。以前はホカロンを小さくしたような平べったい長方形だったが、最近はポットの底の形に合わせた(?)円形のタイプが増えている。日本で売っているティーバッグよりはずいぶん葉の量が多く、濃い目に淹れる場合でもティーバッグ1つでカップ2杯分は出る。
これを1~2個ポットに放り込み、沸きたての熱湯を注ぎ、蓋をして待つこと数分、おいしい紅茶の出来上がりである。

量も手順もこだわりなし

紅茶の濃さは個人的な好みの問題で、特に決まりはない。
物の本には「1カップにつき紅茶をスプーン1杯、それに加えてポットのためにもう1杯」なんて書いてあるが、忠実に従う必要はまったくない。そもそもティーバッグでは従いようもないではないか。

私はマグカップ1杯にティーバッグ1つの割合で、じっくり時間をかけて出した黒々とした紅茶に大量のミルクを入れるのが好きだが、渋いのがいやだからお湯にちょっと色がついたらすぐティーバッグを取り出すと言う人もいる。
ティーバッグのブランドによっても濃さはずいぶん違うし、加減は人それぞれでいいのだ。
客の方も、紅茶の濃さに注文をつけるなんて失礼な事はせず、出されたものを素直にいただく。おいしいと思ったらほめればいいし、好みの濃さでないなら沈黙を守ればよい。

一般家庭で砂糖壺やミルクピッチャーやティースプーンが客の面前に出されることはあまりなくて、主人が客それぞれに「何を入れる?」と聞き、言われた通りに淹れたカップを出すのが普通のようだ。
ミルクは入れるのが当然となっており、砂糖何杯とだけ言うと指定量の砂糖とミルクが入って出てくるので、ミルク抜きが好きな人は”No milk, please”と指定しなくてはならない。レモンティーやアイスティーはイギリス一般庶民の概念には存在しないものと思った方がよい。

カップに入れるのはミルクが先か、紅茶が先か、という論争があるが、会社の食堂で観察した限りでは、ミルクを先に入れる人が半数を越えているようだった(ミルクを入れたカップにティーバッグを放り込み、その上からお湯を注ぐ人がずいぶんいるのには驚いたが)。しかしこれも結局は人それぞれ、固い事を言わず好きなようにすればいいのだ。

イングランドでは紅茶はお皿つきのティーカップで出されることが多いが、スコットランドでは来客に対しても大ぶりのマグカップで出すことが多い。私の経験だけでなく、統計でもそういう結果がちゃんと出ているのだそうだ(でも、誰がそんな統計をとったんだろう)。
たくさんお茶を飲ませてやろうという気前の良さなのか、お代わりを淹れる手間を省きたいという不精さなのか、はたまた家族用と客用でカップを使い分けるなんて「中流階級的」だという観念でもあるのか、そこは定かでない。

お茶請けのお菓子は、必ず出てくるとは決まっていないが、イギリス人は男女を問わず甘い物の好きな人が多いので、自分も食べたさに出してくれる確率は高い。「イギリス流ティータイムのお菓子はホームメイドのケーキを……」という日本の雑誌に登場するイメージはここでは完全に裏切られ、出てくるものはダイジェスティヴ・ビスケットかキットカットあたりが相場だ。

軟水専用、スコットランド用紅茶をどうぞ

ここまでがイギリスの紅茶の話なのだが、この数年来スコットランドでは、スコットランドの水質に合わせてブレンドした紅茶というのが流行っている。
先鞭をつけたのはブルックボンドで、「イングランドの硬水に合わせたブレンドをスコットランドの軟水で飲んでは本来の風味が出ない、スコットランドで飲むならこちらを」と、スコティッシュ・ブレンドと銘打った新製品を売り出した。

ちょうどスコットランドでは民族主義・愛国主義的風潮が高まってきていた折、スコットランドを舞台にした人気テレビドラマのスポンサーになったことも功を奏してこれが大当たり。他の紅茶メーカーやスーパーの自社ブランドも追随して、今ではスーパーの棚に「スコットランド向け」紅茶がずらりと並んでいる。
——ということは、日本人旅行客がロンドン土産に買って帰ってはありがたがって飲むフォートナム&メーソンの高価な紅茶は、実は日本の軟水で飲んでも本来の味なんか出るはずもない硬水用ブレンドということになるわけだが……。

大修館書店『英語教育』誌1996年10月号に「紅茶の作法」の題で掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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