ふだん着のスコットランド 3章 5

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

3章 スコットランドの味

スコットランド野菜大革命

スコットランド人は心臓が悪い

スコットランドは心臓疾患発病率が世界でも最悪国のうちに数えられる。最近出たデータによると、ここ数年やっと発病率が減少し始めたが、それでもやっぱり世界第2位とか。
心臓病は普通男性に多いものだが、スコットランドでは女性の発病率も他国に較べて飛び抜けて高く、それが全体としての高率に結びついているようだ。

このあまり自慢にならない統計は、いくつかの原因がからみあった結果だ。
喫煙は大きな問題の一つで、何しろ今でもバスの中に喫煙席がある土地である。特に所得が低い層ほど喫煙率、特に女性の喫煙率が高くなる傾向があり、女性の心臓疾患が特に多いのは喫煙が直接の原因らしい。
しかし、最大の悪玉とされているのは何と言っても食生活である。確かにスコットランド人が食べる料理は一般に油が多くて野菜が少ない不健康食だ。例として、私の勤める日系工場の食堂で観察してみよう。

スコットランド人の食生活

まず午前の休憩。「お茶の時間」と言えば、「ああ有名なイギリスのティータイム、紅茶カップを片手に優雅に語らうくつろぎのひとときか」というイメージになるが、ほとんどの工員達にとってはこれは実は「朝食の時間」だ。
だから食堂でも、目玉焼きにソーセージにベーコン、ブラックプディングにポテトスコーン(スコーンと言ってもお菓子ではなく塩味)と、典型的な朝食メニューを揃える。上記は全て油をひたひたと張ったフライパンで焼いて供するものなので、総称してfry-upと言う。

昼食。食堂ではディナー・軽食・サラダの3種類を揃えている。ディナーは肉料理に芋(ゆでじゃがかチップス)につけ合わせの野菜という取合わせ。ダイエットが気になる人はサラダバーで、ハム、キッシュ、ポテトサラダ、パスタ、生野菜などを適当に選んで盛り合わせる。
しかし工員の間で人気があるのは安上がりな軽食コーナーで、メニューはsausage roll(ソーセージ肉のパイ皮包み)、mince pie(スコッチパイともいう。薄い皮の中に羊挽き肉が入っている)など。これにbaked beans(トマト味の煮豆)やchipsをつけ合わせると、充分食べごたえのある食事になる。
さらに安上がりで済ませたい人達は、「chips & gravy」というものを食べる。その名の通り、芋のフライを皿に盛った上にインスタントグレーヴィの素を溶いたものをかけただけだ。

社員食堂の食事なんて洋の東西関係なくお粗末なのが当たり前、と言われればそれはもっともなので、今度は伝統的な家庭料理を紹介してみよう。

おふくろの味はといえば

スコットランドのおふくろの味の代表は「mince & tatties」というメニューだ。ミンスは牛挽き肉、タティはスコットランド語でじゃが芋のこと。牛挽き肉をフライパンで炒め、水とストックの素かグレーヴィーの素を放り込んで少し煮つめ、塩こしょうで味付けし、茹で芋と一緒に皿に盛れば出来上がり。

ストーヴィーズ(stovies)もスコットランドの伝統料理。炒めた玉ねぎとじゃが芋に水を足し、煮くずれるまで1、2時間ひたすら煮込む。細切れ肉とかハムとかを入れることもある。
そんな悠長な料理に時間がかけられないという場合は簡略式ストーヴィーズを。マッシュポテトに炒めた玉ねぎとソーセージの細切れを混ぜるだけだ。

スコットランド料理で一番有名なのはハギス(haggis)だろう。
1996年はスコットランドの国民詩人ロバート・バーンズの没後 200年記念で、世界的にバーンズ関連のイベントが開催されたようだが、ここ本国では彼の誕生日である1月25日に毎年バーンズの夕べ(Burns Night)という夕食会を催す。このメインコースを飾るのが、「haggis, neeps& tatties 」というメニューだ。バーンズがハギスを「プディング一族の首領」と称える詩を残していることにちなんでいる。

ハギスの中身は羊の屑肉や臓物とオーツで臭みを消すためにたっぷり香辛料を混ぜ、羊の胃袋に詰めこんである(最近は胃袋でなくビニール詰めが多いが)。中身が中身だし味にも独特のくせがあるので、スコットランド人にも嫌いな人はいるが、安くて庶民的な食べ物だ。
つけ合わせはやはり伝統に従ってneeps & tattiesがよい。タティは前述の通りで、ハギスと合わせる時はマッシュポテトにする。ニープの方はスコットランド方言でturnip、つまり蕪のことだ。

ただし、スコットランドのターニップはイングランドや日本の蕪とは別物で、イングランドではスウィード(swede)と呼んでいる野菜だ。普通の蕪よりずっと大きくて固くて黄色い。スウェーデンから入ってきたのでそういう名がついた。林望のエッセイでまずい野菜の代表のようにけなされていたのでご存じかもしれない。
茹でると水っぽくなり、味も特にないが、裏ごししてハギスにつけ合わせると、淡白な味と水気がハギスの香辛料の強さによく合い、実においしい。

旬の野菜料理がないのは?

このようにスコットランド料理を眺めていると、くず肉やじゃが芋ばかりが幅を利かせていて、伝統料理と言えば聞こえはいいが実は貧乏人の食べ物じゃないの、という印象がおのずからわき上がってくる。特に野菜の種類がごく限られていて、旬の素材を生かし季節感を味わうという日本の詩的な料理哲学とは縁もゆかりもない世界だ。

なぜ旬の野菜を使う伝統料理が少ないかというと、スコットランドにはもともと野菜の種類があまりないのだ。
日本だと、奈良平安の古い文献を見ても実に様々な野菜の名前が出てくるが、スコットランドでは18世紀頃まで野菜といえばキャベツの一種であるケール(kail)ただ一つ(!)しかなかったのだそうだ。

なにしろ年中うすら寒くて天気がわるいし、土地が痩せているので、育つ野菜が限られているのである。そのため当時は、心臓病になるより先にビタミン不足から壊血病で死ぬ人が多かった。
同じく気候と土壌の悪さのため、小麦が育つ地域もごく限られており、ほとんどの地方では小麦の代わりにオート麦(食用)と大麦(醸造用)を育てた。牧畜の方では、庶民の蛋白源は圧倒的に羊だった。同じ広さの牧地でも、牛なら2頭も飼えないところで羊なら8頭飼えるからだ。
つまり、スコットランド人の御先祖様は、毎日羊肉とオーツ粥とキャベツを食べ、物足りなさをビールでまぎらわせて生きていたのである。

芋と蕪がスコットランドを救った

18世紀になるとスウェーデンからターニップが、そして新大陸からイングランドを経由してじゃが芋が、スコットランドに上陸した。人参の渡来もこの頃である。
これにより、野菜の種類は一挙に増えた。まさに革命的な変化である。これでもう毎日毎日茹でキャベツを食べなくてもいいのだ。

特にじゃが芋はビタミンだけでなく炭水化物源にもなるすぐれものだ。茹でてもよし、揚げてもよし、焼いてもよし、マッシュポテトにするもよし。メニューのバラエティはまさに無限大だ。スコットランド人のじゃが芋好きは、おそらくこうして始まったのだろう。
ターニップの方は料理法は限られているが、ハギスのつけ合わせには理想的だし、大きくて固いからスコットランドの伝統行事であるハロウィーンの提灯にするのにぴったりだ(ちなみに、カボチャで提灯を作るのはアメリカで始まった習慣だ)。

スコットランドの食生活史に思いを馳せてみると、バーンズの夕べのメニューにも何か意義深さが見えてくる。
バーンズの愛した羊とオーツの胃袋詰め料理を食べて大詩人をしのぶだけではない。農夫の息子であり、またフランス革命支持者だったバーンズの精神にあやかり、彼の生きた世紀に彼の母国で起きた偉大なる「野菜大革命」を記念しているのではなかろうか——なんてことを私が言うと、大げさな修辞が嫌いで現実的なスコットランド人はきっと、「一番安い冬野菜を安い肉料理と並べただけだよ」と答えるに違いないが。

大修館書店『英語教育』誌1996年4月号に「スコットランドの伝統料理」の題で掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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