ふだん着のスコットランド 4章 5

注記:

  • 以下の文章は、大修館書店『英語教育』誌に1995年1月から途中休みもはさんで1998年まで連載したエッセイシリーズ「ふだん着のスコットランド」1996年12月号掲載回をもとに、2002年に加筆したものです。掲載されてから長年が経過しているエッセイなので、特に時事・流行などに関する内容は古くなっており、現在の状況とはかなり違っている場合もありますが、連載当時の内容そのままにしてありますのであらかじめご了承ください。
  • 時事的な話題についてはブログの「スコットランドニュース」などで随時取り上げていますので、そちらも合わせてお読みください。
  • 文中に出てくる「夫」は当時の夫で、現在の夫とは全く関係がありませんので誤解なきようお願いします。

4章 ところ変われば・・・

スポンサー募集中

テレビCMとスポンサー

スポンサーという言葉から日本人が連想するのは、やっぱりテレビだろう。
久々に日本に帰ると、日本の民放ってこんなにコマーシャルが多かったんだなと思い出す。イギリスにも民放はあり、コマーシャル(advertisements、または略してadverts と呼ぶことが多い)も流れるが、それを見ていて量の多さにいらいらした覚えはない。2時間ドラマや映画では、話の流れを損なわないようCMタイムの回数を少なめに抑えているらしく、トイレを我慢している時など、まだかと焦れるほど間があく。

日本の民放テレビでいらいらするのは、番組の前後に入る「この番組は○○の提供でお送りします/しました」というナレーションだ。特に、長時間ドラマや映画劇場などの場合は途中でスポンサーが交替することがあり、そこでまた「これまでの放送は○○の提供でお送りしました。ここからの放送は××の提供でお送りします」と入る。あれが特に悪い。○○、××の部分に並ぶスポンサーの数がやたらと多いので、よけいにいらいらする。それから、列挙された夥しい数のスポンサーがみなCMを入れる。その量と回数の多さにまたいらいらする。

ここで「広告提供者」と「スポンサー」という2つの言葉を使った。日本では同じものとして扱われているようだ。
手持ちの国語辞典にはスポンサーの語義として、「ラジオ・テレビの商業放送番組の提供者。広告主。転じて、資金を出してくれる人」と説明されている。

ところがイギリスのテレビでは「広告主」と「スポンサー」は性格がちょっと違う。
コマーシャルを出している各社は、イギリスでは広告主(advertisers)である。広告主は放送会社に対して広告料を払い、広告枠をもらう。どの時間帯に広告するかは選べるようだが、別に特定の番組を提供しているわけではない。だから番組提供者として紹介されることもない。
一方番組スポンサー制度はイギリステレビ界では比較的最近、6~7年前くらいから見るようになった。実際にはそれ以前から登場していたのかもしれないが、私の記憶にはない。

スポンサーはCMを流さない

イギリスでは1つのテレビ番組につくスポンサーは1社だけ、2社の共同スポンサーという例も一度だけ見たことがあるが、ごく例外的である。そして、スポンサーはコマーシャルを流さない。その代わりに、番組の前後および中途CM帯の前後に数秒、スポンサーの名前が出る。CMよりもずっと短いが、回数が多いのと単独で登場するため印象が強い。
最近はスポンサー付き番組がずいぶん増えてきたが、それでも視聴率の高い人気番組だけに限られている。ドラマシリーズでは、新番組として初登場する時にはスポンサーなしで、そのシリーズがヒットすると続編からスポンサーが付く。

スポンサーになる企業は、番組のイメージと関連が強いのが普通だ。例えば、スポンサー付き番組の先駆け「モース警部」シリーズでは、主人公のモース警部がビールの味にうるさいという設定になっているので、ビール会社がスポンサーについた。スコットランドを舞台にした連続ドラマ「ハイ・ロード」を「スコティッシュ・ブレンド」という紅茶がスポンサーし、ヒット商品になったという話は以前書いた。

番組の名前を出せば反射的にスポンサーが思い出せるくらい、両者の関連は強い。その代わり、番組の途中や前後のCM帯は、番組のスポンサーとは全く関係がない。シャンプーメーカーがスポンサーするアメリカのコメディドラマ「フレンズ」の中途に、ライバルブランドのシャンプーのCMが流れるなんてことも起きるようだ。

スポンサーといえばサッカー

前述の通り、イギリスのテレビ界にスポンサー制度が入り込んできたのは最近のことである。だから、イギリス人がスポンサーという言葉を聞いた時に連想するのはCMではなく、むしろサッカーではないかと思う。

サッカーのユニフォームを見ると、チーム名はシャツの胸に小さなワッペンがあるだけで、中央にでかでかと企業名が入っているが、この企業はチームのオーナーではなくメインスポンサーである。試合がテレビ放映されるような有名チームなら、スタジアムに出す看板の広告効果も高いので、他にもスポンサーがわんさかいることが多い。

しかし弱小チームではなかなかスポンサーがつかず、どこも経営は火の車だ。夫のサポートするスターリング・アルビオンの場合、数年前にメインスポンサーが降りてしまい、現在はクラブ会長の経営する貸トレーラー業者の名前がシャツに入っているという、様にならない状況である。

試合プログラムを見ると中にスポンサー紹介のページがあり、「ボールのスポンサー(1試合£150、ランチ付きチケット2人分進呈)」とか「個人選手のスポンサー(年額£100、指名選手のサイン入りユニフォーム付き)」とかいった細かいスポンサー制度があることが分かる。ここに並んでいる名前は個人名が多く、数人のグループや地元の零細会社の名も見える。スポンサーとしてお金を出してもほとんど見返りはないが、要するにちょっとお金に余裕があり、かつチームをこよなく愛する熱心なサポーターが、小口スポンサー制度を通じてチームに貢献しているのである。

誰でもみんなスポンサー

イギリスにはもう一つ、テレビ番組のスポンサーよりもサッカーのスポンサーよりも古く、かつ身近なスポンサー制度がある。私の夫は小学生の時にスポンサー集めをよくやったというし、かくいう私も最近勤め先のマネージャーのスポンサーになったことがある。チャリティ募金のスポンサー制度だ。

ロンドンマラソンの中継を見たことがあるだろうか。世界のトップ選手が走るのはもちろんだが、ロンドンマラソンは一般参加のランナーがやたらと多いので知られている。イギリス人はそんなに健康増進に熱心なスポーツ好きが多いのかと思いきや、実は彼らのほとんどはお金のために走っているのである。自分の懐に入るお金ではなく、チャリティ募金だ。

方法はこうである。まず紙とペンを手に、友達や家族や同僚や隣人、とにかく思いつく限りの知り合いを回る。紙を差し出して、「○○のためにロンドンマラソンを走るから、スポンサーになってくれ」と頼む。○○は『動物愛護協会』だったり『心臓病リサーチ基金』だったり様々だ。頼まれた人はたいてい「いいよ」と言って、紙に名前と金額を書く。額はせいぜい1~2ポンドくらいだが、この人が日頃悪名高いカウチポテトだったりすると、「そりゃすごい」と言って£50などと書いてくれることもある。こうしてマラソン当日までにできるだけたくさんのスポンサーを集めておく。
完走できたら完走証明書とスポンサーリストを持って1人1人訪ねていき、リストに書いてあるだけの額を徴収する。そして集めたお金は全額チャリティに寄付するのである。もちろん完走できなければ募金もなしだ。

学校でもこの手の募金はよくやるようだ。この場合目的はチャリティだけではなく、学校の備品を買う資金集めだったりすることもある。内容は「歩こう会」というのが多い。5マイルとか10マイルとか目標を決めて歩き、達成できたら今度は集金に歩くのである。他には窓ふきとか洗車とかいったお手伝い要素の強い課題もある。この場合「お宅の車を洗うから1ポンドくれ」ではなく、「1週間に車を50台洗う」といった目標を設定し、達成できたらスポンサーからお金を集める。

感心するのは、こうしたチャリティスポンサー活動を考え実行するのが、お金を受け取る当のチャリティ団体ではなくて、その団体の活動に共感しているというだけの普通の個人達だという点だ。
ただ募金箱を持って金を集めるだけでは出す方も面白くないから、何かお金を出すに値することをやりとげ、そうやって集めたお金でひいきのチャリティに貢献したいと、マラソンだの歩こう会だの窓ふきだのにスポンサーを集めて頑張るイギリス人を見ていると、けっこういい国だよな、と思ってしまうのである。

大修館書店『英語教育』誌1997年12月号に「スポンサーの話」の題で掲載。)

©杉本優 許可なく転載不可


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