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Robert Burns Lost in Translation? / ロバート・バーンズ不人気は悪訳のせい?

Mixiの翻訳・通訳関連コミュニティで、「翻訳で失われゆく原文の意味」と題する、翻訳で恥をかいた企業についてのMSNのコラムというのが紹介されていた。

http://englishtown.msn.co.jp/sp/teacher.aspx?articleName=118-lost&Ctag=118-lost
(上記リンク先ページは消えていますが、コラムはこちらに再掲されています。→ https://publications.asahi.com/ae/stepup/87.shtml

誤訳に関する笑い話にはことかかない。私が所属している英国翻訳通訳協会(ITI)の会誌には、”Onionskin” と題した誤訳に関する連載コラムがあって読者の現役翻訳者・通訳者やそのたまご達に大人気だし、日本社会に氾濫する誤訳や珍英語についてはwww.engrish.comというサイトもある(もっとも最近は中国や韓国の例の紹介が増えてきているようだが)。

だがこのMSN記事、読んでいてなんだか違和感を感じないだろうか?
そう気がついてGoogle検索してみたところ(Googleは翻訳者にとって重要なツールのひとつ。・・・という話はまた後日に)、出てきたのがこれ。

http://www.englishtown.com/community/article/118-lost.html

つまり、先の記事はこの英語記事の和訳だったわけだ。違和感の原因は、日本人読者を想定して書いたものではない記事を和訳したものであることからきていたのだった。

この記事で特に私の注意を引いたのは、後半に出てくる「バーンズの詩の日本語訳」の話。バーンズと言えばスコットランドの国民的詩人。今年2009年は折りしもスコットランドでバーンズ生誕250年をネタに大々的な観光客誘致キャンペーンを実施中だ。スコットランド+翻訳となると完全に私のテリトリーだから無視できない。

そもそもこの記事がいうところの「日本語版のバーンズに起こった悲劇」、本当のところはどうなのか。

記事で引用されているのは、Address to a Haggis と題された詩の冒頭部分である。その邦訳は本当にそんなにひどいのか?検証してみよう。

引用されている部分の原文は、
“Fair fa’ your honest, sonsie face,
Great chieftain o’ the puddin-race!”

英語が得意な人が読んでも、実はこれ、よくわかんないだろうと思う。「fa’ って何の略だよ、sonsie なんて単語、英和辞書に載ってねえじゃん」ということになる。それもそのはず、この詩は英語ではなくスコットランド語で書かれているのだ。

ではこの冒頭部分を英語に訳すとどうなるかというと、
“Fair full your honest, jolly face,
Great chieftain of the sausage race!”
となる。

邦訳のバーンズ詩集が手元にないので、ネットで日本語訳を検索してみると、こういうのが出てきた(ロバート・バーンズ研究会編訳)。
「正直なおまえの笑顔に幸いあれ!
腸詰め一族の偉大な王よ」
(出典:http://tabi.com/contents/feature2/homecoming/poems.html

で、この邦訳を英語に訳し戻したのがMSN記事の
“Good luck to your honest friendly face, Great King of the sausages.”
であり、さらにそれを再び日本語に訳し戻したのが和訳版記事の
「あなたの率直で親身な顔に幸あれ、ソーセージの偉大なる王よ。」
となるわけだ。

では原詩の英訳
“Fair full your honest, jolly face,
Great chieftain of the sausage race!”
と邦訳の
「正直なおまえの笑顔に幸いあれ!
腸詰め一族の偉大な王よ」
でそんなに大きな差があるかというと、まあ「幸いあれ」は完全に意訳だが、「ハギスに捧げる」という賛美の詩であることを考えれば充分許容範囲だし、chieftain が王に格上げされていたりといった細かい違いも特に大きな問題ではないだろう。翻訳が粗悪なのが原因で原詩の魅力が失われている・・・とはどうも思いがたい。だってこれ、原詩だって充分ヘンでしょう。「腸詰一族の偉大なる族長よ」ですよ。訳でも充分そのヘンさは伝わってると思う。

この詩の魅力は、ハギスというまるっきりふつうの庶民的な食べ物を、スコットランドの田舎言葉でまじめな顔して思いっきり過大に賛美しているおかしさだ。たとえば秋田弁で「きりたんぽを讃える」とか、大阪弁で「たこ焼きに捧ぐ」なんて詩があったらと想像してほしい。で、年に一度の記念日に、このコテコテ賛美詩を朗誦しながら、きりたんぽなりたこ焼きなりを一同にふるまうセレモニーを行い、みんなでいっせいに食べるのである。ね、笑えるでしょ?そもそもハギスという食べ物を聞いたこともないし、バーンズナイトでハギスにナイフを入れる儀式も見たことない人にこの詩がよくわからないのは、いわば当然。誤訳や悪訳のせいにするのはおかど違いだろう。

「Lost in Translation/翻訳で失われゆく原文の意味」というこの記事のタイトル、記事自体にこそ当てはまるような気がするのだが。

そもそも日本でバーンズの詩がそれほど知られていないのは、スコットランド民謡が日本に導入された時に行われた「バーンズ外し」に原因がある。例えばこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=FyDTVwR8V7A
新年が明けたときに世界中で歌われているこの歌、スコットランド民謡 “Auld Lang Syne” である。この詩を書いたのがロバート・バーンズ。が、日本人がこの歌を聞くと、「ああ、蛍の光ね」と思ってしまう。そもそも毎年NHKの紅白歌合戦の最後に卒業式の歌であるはずの蛍の光を歌うのはなんでだろう、と思ったことありませんか?これはAuld Lang Syneを歌いながら新しい年を迎えるという世界的な慣習を踏襲したものなのだ。 “Auld Lang Syne” はこれまたスコットランド語で、英語にすれば “Old Long Since”。日本語では「久しき昔」と訳されているようだ。その内容は、「昔馴染みと一緒に杯を空け、古きよき日を思いつつ乾杯しようじゃないか」という飲み会ソングである。
が、この歌が小学唱歌として日本に紹介された時に、原詩とは全く関係のない歌詞が新たに作詞され、「蛍の光」という勤勉を讃える卒業式の歌に変身したのだ。

同様の例に、「故郷の空」という歌がある。これも小学唱歌だがもともとはバーンズの詩で親しまれているスコットランド民謡 “Comin Thro’ The Rye”。「故郷の空」の小学唱歌版歌詞は遠い故郷の家族を懐かしむ詩で、太平洋戦争中の兵士の愛唱歌だったと聞くが、バーンズの詩は「ライ麦畑を通り抜けて出会った2人がキスしたっていいじゃないか」というかなり軽薄な内容。ドリフターズが昔歌った「誰かさんと誰かさんが麦畑・・・」という替え歌の方が、原詩の訳ではないけれど原詩の意図にはずっと近いのだ。

英国ロマン主義文学の先駆けと紹介されることが多いロバート・バーンズだが、素顔のバーンズは熱血正義漢の貧乏青年農夫(苦労がたたって37歳で病死している)である一方、酒好き、女好き、冗談好きの若者だった。作品にもそういう彼の人柄・性格がよく表れていて親しみやすい。文学史に名を残す詩人という触れ込みにこだわらずにぜひ作品を読んでみてほしい。
バーンズ詩集 (岩波文庫 赤 215-1)
ロバート・バーンズ詩集

「英国」と「イギリス」

オリンピックとスコットランド」の最後に「スコットランド人か英国人か?」というアンケートの統計について書きましたが、これ、英語の原文では “Scottish or British?” です。決して “Scottish or English?” ではありません。

私は日本語で自分のことを説明するときにはふつう「イギリスから引っ越してきた」と言います。これは、「スコットランドから来た」と言ってもその「スコットランド」がどこだか知らないという人がけっこういるため。ただ、「イギリスから」と言うと、今度は十中八九「イングランドから来た」のだと解釈されてしまうのが困りものです(「スコットランドFAQ – 1」も参照)。スコットランドに行ったことがある方やスコットランド人と話したことがある方はよく知っている通り、スコットランド人はイングランド人と間違えられると心情的にちょっとカチンときます(日本人でも海外で中国人と間違えられるとちょっとむっとしますよね)。私も「イングランドにいたんだよね」と言われると、つい「イングランドじゃなくてスコットランド!」と言い返してしまいます。

英語で言う United Kingdom/UK もしくは Britain (どちらも United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland の略)の日本語訳として一般に使われる「イギリス」と「英国」、どちらも厄介な言葉です。問題はそもそも「イギリス」という言葉の語源。正確な由来には諸説あり、ポルトガル語のInglês、あるいはオランダ語のEngelsとも言われていますが、いずれにしても英語のEnglish、つまり「イングランドの」という意味です。それが日本語ではまず「エゲレス」という表現になり、次第に訛って「イギリス」になりました。また、「英国」の方は「エゲレス」を漢字表記した「英吉利」からきているわけで、要するにどちらももともとはイングランドを指す表現ということになります。日本に初めてポルトガル人がやってきたのは1542年、オランダ船リーフデ号が漂着したのは1600年。このリーフデ号にはイングランド人のウィリアム・アダムズ(のちに三浦按針という日本名を名乗る)も乗り込んでいました。当時はまだイングランドとスコットランドは同じ島を住み分ける別々の独立王国でした。イングランド王国から来たイングランド人ウィリアム・アダムズのことを説明するのに「イングランドの」と言うのはまあ当然だったわけです。

その後1603年にイングランド王国でエリザベス一世の死によりチューダー王家が断絶し、遠縁であるスコットランド王国のスチュアート王家がイングランド王位を継いだことで、両国は同じ王を戴く「同君連合」と呼ばれる状態に入りました。しかし経済的・政治的事情から両国は1世紀後の1707年に(スコットランド国内世論の強硬な反対にもかかわらず)完全合併しました。小国であるスコットランドが国会を解散してイングランド議会に吸収されるという形での連合で、実質上はイングランドによるスコットランドの吸収でしたが、これによって「イングランド王国」「スコットランド王国」の名は共に消え、新しい国家「グレートブリテン連合王国」が誕生しました。けれどそんな事情は遠い異国のことで日本にはわからない話。ヨーロッパ各国語には「ブリテン」「連合王国」に当たる表現があって「イングランド」とはきっちり分けられているのですが、日本ではなんとなく曖昧なまま、「エゲレス」転じて「イギリス」だけが「イングランド」と「グレートブリテン連合王国」両方を指す表現として定着してしまったのでした。

政府筋などでは、こうした事情から「イギリス」は混乱を招きやすい表現なので、UK全体を指す場合には「英国」という表現を使う、という慣例が近年定着しているようで、たとえば外務省ウェブサイトの各国情勢セクションでは、「英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」として紹介されています。また英大使館等の関連サイトでも「英国」で基本的に統一しているようです。前述のように「英国」という表現も結局は「エゲレス」「イギリス」に由来するもので、特に混乱回避の役は果たさず、結局多くの人の理解は「英国=イギリス=イングランド」にとどまっているというのが私の印象ですが、一応このブログでも便宜上UKの訳語として基本的に「英国」を使っています。

私が英語で自己紹介する場合は、”I’m from Scotland” と言い、「それどこ?」という返事が返ってきた場合には “Britain” と補足します。私は大学の卒論でスコットランド史をテーマにしたのですが、その時お世話になった恩師は「日本でもそろそろブリテンという表現を使うべきだ」というのが持論で、私も卒論では「ブリテン」を使いましたが、残念ながら史学界でも一般社会でもなかなか普及する兆しがありません。また、UKという表現もアメリカ合衆国を指すUSやUSAに比べると日本での認知度は低いようですし、その和訳である「連合王国」も、やはり一部で採用の努力があったものの定着に至らなかったようです。「ビルマ」が「ミャンマー」になった時のように、公式通達で強引に「ブリテン」または「連合王国/UK」で統一させるというようなことはできないんでしょうかね。

もっともスコットランド議会与党のSNP (Scottish National Party) が国民の説得に成功し、スコットランドが独立するという事態にでもなれば、今の連合王国という枠組みも300年ぶりに解体することになるので、そんな悩みも解決してしまうわけですが・・・。